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バセドウ病、失明危機、子宮の病…元女子バレー日本代表・鍋谷友理枝(31歳)が明かす壮絶な13年「18歳で宣告…なんで私は健康じゃないの?」
text by

田中夕子Yuko Tanaka
photograph byShigeki Yamamoto
posted2025/07/10 11:03
リオ五輪や2度のワールドカップに出場するなど、日本代表としても活躍した鍋谷友理枝(31歳)。2024/25シーズンをもって現役を引退した
「午前中、先輩に会ったら『ざます』と挨拶するんです。先輩が2人いたら『ざまざます』、3人になると『ざまざまざます』と増える。正午過ぎたら挨拶が『ざます』から『ちゃ』になるから、『ちゃちゃ』とか『ちゃちゃちゃ』って言ってましたね(笑)。それ以外にも、大会が近づくと“日本一”と刺繍したサポーターを手につけるのが当たり前だったし、試合の時は『最低でも金、最高でも金、最終的に一番大切なのは日本一への強い気持ち!』と全員で叫んでいました」
東龍での3年間を振り返った時、鍋谷にとって「一番きつかった」というのが食事だ。寮生活で提供されるメニューは栄養バランスこそ整っていたが、小食の鍋谷にとっては辛い時間だったという。
「とにかく量が多いので、太ることを気にする子もいたんですけど、私は押し込むしかなかった。満腹になると気持ち悪くなってしまうので、食事が終わるといつもトイレで吐いていました。練習も食事も挨拶も、いま考えたらおかしいんですが(笑)、でも当時は日本一になるために必要だと信じていたから疑いもしない。言われたことを一生懸命やるだけで、おかしいことを“おかしい”と考えることすらしなかったんです」
「辞めます」苦しんだ主将の重圧
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2年時には春高連覇を達成。勝てば勝つだけ多くの人が喜んでくれる。それにやりがいを感じていた。ただ、3年時に主将に就任すると周囲の期待は大きなプレッシャーへと変わった。
「今まで先輩たちが築き上げてきたことを守らないといけない。自分たちの代で負けたら、先輩や学校の先生方に顔向けできないと思っていました。高校生でそこまで追い込むことなんてないのに、私はマイナス思考だからどんどん考えが加速して、勝たないと誰も喜んでくれない、って思っていた。キャプテンになってからは重圧に耐えられなくて、一度『辞めます』と言って東京に帰ったこともありました」
辞めるのは簡単。でも投げ出したくない。翻意した鍋谷は再び大分に戻り、優勝候補の大本命として臨んだ最後の春高も制し、同校の大会5連覇に貢献した。
呪縛に近い“日本一”へのプレッシャーをはね除けただけでなく、春高では負け知らずの3年間。輝かしい戦績であるのは確かだが、残念ながら美談だけでは終わらない。
「勝つことへのストイックさは身につけられたけど、自分の身体や心はないがしろにしていました。それだけが原因ではないかもしれないですけど、影響はあったんだろうな、と今は思います」
バセドウ病という耳慣れぬ病に罹患していることを知ったのは、高校卒業してからまもない、2012年の春だった。
〈つづき→第2回へ〉


