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格闘技PRESSBACK NUMBER
ウルフアロン29歳の“新日本プロレス入団”で検証「柔道出身でもっとも成功したプロレスラー」は誰なのか?「最強柔道家の悲劇…まさかの“事件”も」
text by

布施鋼治Koji Fuse
photograph byJIJI PRESS
posted2025/07/06 17:03
6月23日の入団会見。新日本プロレス社長の棚橋弘至と握手をかわすウルフアロン
超大物柔道家が新日本に入団しかけた“ある事件”
実はウルフアロンの前にも、超大物柔道家が新日本プロレスに入団しかけた“事件”がある。1980年のモスクワ五輪での金メダル獲得が有力視されていた山下泰裕をプロレスに転向させたかったアントニオ猪木は、山下の祖父が自分の大ファンであることを聞きつけ、契約金の一部を“前払い”で祖父に手渡したのだ。
その一件がすっぱ抜かれるや、プロレス入りする気など毛頭なかった山下は困惑。結局祖父を説得してお金を返還したことで、木村政彦に続く希代の柔道家のプロレス入りは幻となった。日本が不参加を決定したためモスクワ五輪に出場できなかった山下だが、4年後のロサンゼルス五輪では金メダルを獲得している。
昭和のプロレス界では新日本プロレスと勢力を二分していた全日本プロレスでも、幻に終わった大物柔道家の転向劇があった。1971年の全日本選手権で、拓殖大出身としては木村政彦以来の優勝者となった岩釣兼生だ。
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1976年、岩釣は全日本プロレス入団が内定していたが、正式契約する段階になってジャイアント馬場と拓大側が決裂。岩釣のプロレス転向は幻となった。このとき岩釣は師・木村が力道山に敗れたことへの復讐を企てていたというのだから穏やかではない。このあたりの経緯は増田俊也氏の著書『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)に詳しい。
実は吉田秀彦も格闘家デビュー前に…
2002年8月、国立競技場で行なわれた『Dynamite!』のホイス・グレイシー戦でプロ格闘家として白星デビューを飾った吉田秀彦も、実はプロレスのリングに上がったことがある。2001年2月、大仁田厚率いるFMWをリングサイドで観戦している際、プロレスラーから挑発を受けてリングイン。豪快な払い腰で黒田哲広に宙を舞わせたことがあるのだ。
この乱入劇はなにかの伏線かと思いきや、その後何もなかったことを考えると、単なるアドリブだったのだろうか。そういえば、当時関西を拠点に活動していた柔道ベースのジャケット総合格闘技団体「J-DO」も、吉田の参戦を表明したことがあった。結局こちらの話も霧散したが、火のないところに煙は立たない。あのときの吉田は至るところから引っ張りだこだったのだろう。
ウルフは先人たちがプロレスラーとして歩いてきた道を、あるいは幻となった数々の転向劇をどう見ているのだろうか。そして気になるウルフの“プロレス適性”とは――。
<続く>


