プロ野球PRESSBACK NUMBER
「今すぐ湯布院に逃げろ!」「は?」ダイエー佐々木誠にかかってきた深夜の電話…史上最大のトレードで常勝軍団西武へ移籍し「野球観が変わった」
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2025/07/05 11:05
西武に移籍した佐々木誠は.285、20本塁打、37盗塁で盗塁王となり優勝に貢献した
「このチームなら3割打てなくてもいい」
西武への移籍1年目となる1994年、佐々木の打率は.285。首位打者のタイトルに輝いたその2年前より、大きく打率を落としているが、チームはリーグ5連覇、佐々木にとってはプロ11年目で初めての優勝を体験して「すごい達成感があった」という。
「トレードって、自分を強くします。ましてや僕なんか、レギュラーとして期待されて行って、レギュラーとしてやらされるわけですよ。やっぱり、そのプレッシャーに押しつぶされそうになる。優勝できなかったら、自分の責任ですからね。
だから、打率3割なんて二の次。このチームにいたら、3割を打てなくてもいいと思いました。チームが勝てるための戦力として、2割8分でも評価してくれるし、その年、打点が84あるでしょ? 自己ベストなんです。すごいと思いません、84って? それだけ1番、2番が出塁して、役割を果たしてくれているんです。
ADVERTISEMENT
だから、例えば1死一塁で僕が打席、次が清原(和博)なら、アウトになってもいいから、何とか繋げて走者を二塁へ進めようとか、どのゾーンが空いていてヒットになりやすいか、セーフティーバントを仕掛けたらいいのか、色々と考えるんです。それは自分の役割というのを、理解しているということなんです」
トレードで「野球観が変わった」
1994年に挙げた佐々木の84打点は、チームでも清原の93に次ぐ2位。150安打は同トップ、37盗塁で2度目の盗塁王にも輝いている。当時黄金期の西武には、佐々木をはじめ、野手陣なら清原和博、辻発彦、石毛宏典、鈴木健、田辺徳雄、笘篠誠治、投手陣にも郭泰源、渡辺久信、工藤公康、石井丈裕、リリーフ陣に鹿取義隆、潮崎哲也ら、そうそうたるタレントがズラリと顔をそろえていた。
森の緻密さは、それぞれの個に与える役割が明確であるがゆえのもの。選手個々にもやるべきことが見えているから、言われなくても主体的に動き出せる。充実した個の力を存分に発揮させながら、名将のマネジメントで束ねていく。その“強さの源泉”が分かったからこそ、佐々木も「野球観は変わりました」と言い切るほどだった。
〈つづく〉

