Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
「長嶋さんは守り神」巨人の歴史が動いた“長嶋茂雄→原辰徳への監督継承…“屈辱の代打宣告”でも揺るがない師弟関係「じつは長嶋と原には共通点が」
posted2025/06/28 11:02

長嶋茂雄から巨人軍の監督を受け継いだ原辰徳
text by

鷲田康Yasushi Washida
photograph by
JIJI PRESS
長嶋茂雄と原辰徳の共通点
実はこの二人の監督には大きな共通点がある。それは、巨人の監督として一度は采配を振るい、志半ばにして不本意ながらもユニフォームを脱がざるを得なくなるという経験をしていることだ。
現役を引退した直後の第1次政権時代、長嶋はある意味、情熱だけで突っ走った監督だった。
就任1年目の1975年は球団史上初の最下位に転落する屈辱を味わった。翌76年にはリーグ優勝を飾り、セ・リーグの王者に返り咲いた。ただ、その翌年にもリーグを連覇したものの、日本一にはどうしても手が届かず、79年には5位に沈んだ。
ADVERTISEMENT
その年のオフに伝説となった“地獄の伊東キャンプ”を敢行。江川卓、西本聖、山倉和博、中畑清、松本匡史らを鍛え上げて一人前に育て、その後の巨人の土台を作り上げた。
「伊東のキャンプのときは練習が終わったら一緒に風呂に入って、その後はメシ。毎晩ですよ(笑)。そういう情熱は指導者にとって不可欠なんです。それが3年後、5年後にあのときにああだったということになる。ただ、指導者というのはその一方で、情熱だけじゃ務まらない。情熱とともに不可欠なのが真面目さでしょうね」
しかし、再起をかけた就任6年目も3位に終わり、独特の“カンピューター采配”が批判を浴びて、不本意な形で辞任を強いられた。
「僕はブックベースボールはやらない。セオリーは自分で作るもの、とよく言っていたからね。3年後、5年後には分かる、という気持ちだった。それこそ色んな局面で、非情だとか、様々な批判を受けることもあったかもしれない。でも、それがなければ監督業というのは務まりませんよ。温情だけでもできない。非情があってはじめて監督はできる。ましてやジャイアンツではね」