プロ野球PRESSBACK NUMBER
“伝説のルーキー”近藤真一の快投で「もうクビだと思ったんです」中日レジェンド・山本昌が「島流しと一緒」失意の米国で手にした“まさかの武器”
text by

酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2025/06/20 11:02
年下のルーキーの快投に衝撃を受けたプロ入り4年目の山本昌。一方でその後、失意のままに留学した米国で「まさかの武器」を手に入れることに
もっと驚いたのは対戦相手のスコアラーだった。
同日の中日スポーツの一面では《投げてくる球すべてクニャクニャ変化するから打ちにくい。それにひじが遅れて出てくるから……あの外角へ落ちる球は一体なんだ⁉》と談話を紹介した。その戸惑いこそ、山本昌の変貌ぶりを物語るものだった。シーズン終盤だけで8戦5勝を挙げ、完封勝利も2度。防御率0.55と非の打ちどころがない内容でリーグ優勝の流れを加速させた。
だが、痛い目に遭った相手はそのまま黙って引き下がらない。オフのあいだに山本昌の傾向を分析し、綿密な対策を練って挑む。それがプロの意地である。89年は一転して春から苦しんでいた。オープン戦期間中に二軍に降格し、開幕後もリリーフ中心。先発した4月29日の巨人戦で1回6失点KOされるなど、精彩を欠いた。
ADVERTISEMENT
「去年はまぐれだったなと周りは思いはじめていたし、僕自身も自分は一発屋なのかなと思いはじめてたんです。去年は出来過ぎ。たまたま調子がよくて勝てたけど、実はこんなもんだったんじゃないかっていう」
覚醒のきっかけとなった「ある一戦」
5月27日の巨人戦はシーズン6度目の先発だった。0勝4敗1セーブと結果を残せず、真価を問われるマウンドだった。
無失点で迎えた4回。先頭で原辰徳と向き合うと、直球で立てつづけに内角を突き、最後は内角へのスライダーで見逃し三振に抑えた。アメリカでもずっと練習してきたクロスファイアが窮地で生きた。
「いま思えば、あの狭いナゴヤ球場でホームランバッターによくインコースを投げたなと。捕手は中村武志でしたが、配球はまだベンチからサインが出ている頃でした。星野さんが『インコース行け!』とサインを出して生かしてくれたのかもしれません」
その後はピンチの連続だった。
6回はウォーレン・クロマティを遊撃への併殺打に抑え、7回はスクイズを外した。桑田真澄との投げ合いを制し、シーズン初勝利。「1-0」で巨人戦初白星を挙げると、山本昌は涙が止まらなかった。
「去年のことがまぐれじゃなかったと、自信を持てました。プロでやっていけると思ったのは、あの試合でした」
山本昌は息を吹き返した。初めてオールスターに出場するなど、球界を代表する左腕に成長した。苦境を脱した先には、新しい世界が広がっていた。
<次回へつづく>

