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“伝説のルーキー”近藤真一の快投で「もうクビだと思ったんです」中日レジェンド・山本昌が「島流しと一緒」失意の米国で手にした“まさかの武器”
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酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2025/06/20 11:02
年下のルーキーの快投に衝撃を受けたプロ入り4年目の山本昌。一方でその後、失意のままに留学した米国で「まさかの武器」を手に入れることに
転機が訪れたのは1カ月ほど経った頃だった。同僚のメキシコ人内野手がキャッチボールの遊びで投げていたスクリューが目に留まった。投げ方を教わり、試してみるといままでと違う感覚があった。なぜかうまく操れた。それは試合で投げても同じだった。打者が狙い通り、面白いように空振りしてくれるのだ。
1Aで快投がはじまった。新球のスクリューは絶対的な武器となり、メジャーを夢見る若手選手を圧倒した。
1Aで13勝7敗、防御率1.55。
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ふと天を仰ぐと、いつのまにか闇は消え、突き抜けるようなフロリダのスカイブルーが広がっていた。
異国で手に入れた「新しい武器」の威力は?
やがて日本にもその噂が届いた。優勝争いの真っただ中のチームが黙っているはずがない。しかも、先発の一角である近藤が左肩の不調を訴えて離脱していた。山本昌は代役として、8月中旬のシーズン佳境に急きょ呼び戻されたのである。
アメリカの若手に通用したスクリューは日本でも通用するだろうか。期待と不安が入り混じるなか、山本昌は帰国直後の8月22日にウエスタン・リーグの阪神戦に登板した。ナゴヤ球場で2イニングを抑えた37年前のシーンをいまも克明に憶えている。
「田尾さんがファームで調整していました。あれだけバットに当てるのがうまい田尾さんをスクリューで普通に平凡な外野フライに打ち取れたんです。それまでは『アメリカの1Aは日本の四軍みたいなものだから勝てたのかな。日本ではやっぱりいつも通りなのかな』と不安だったのが、田尾さんを抑えたことで自信になったんです。『日本もアメリカと変わらないや』とね」
田尾安志は山本昌が中日に入団した頃の大先輩で、全盛期には3年連続でセ・リーグのシーズン最多安打を記録した巧打者だった。阪神に移籍していたベテランを抑え、手ごたえを胸に一軍のマウンドに向かった。
昇格初戦の中継ぎ登板でプロ初勝利を挙げると、9月9日に広島市民球場で行われた広島戦でプロ初先発を果たした。3回2死一、二塁。高橋慶彦にフルカウントの末、スクリューで空振り三振に仕留めた。5回のピンチでも山崎隆造を再びスクリューで空を切らせる。6回を2安打無失点。2勝目を挙げ、チームの優勝マジックも減った。
《あんなに淡泊な性格の子が、あんなに粘り強いピッチングをするとは》(中日スポーツ、88年9月10日)
そう声を上ずらせたのは、一度は突き放してアメリカ留学を命じた星野である。

