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41歳“史上最年長ノーノー”達成はなぜ起きた? 中日レジェンド・山本昌が振り返る“奇跡の一夜”…コーチに直訴「一人でもランナーが出たら岩瀬に」

posted2025/06/20 11:01

 
41歳“史上最年長ノーノー”達成はなぜ起きた? 中日レジェンド・山本昌が振り返る“奇跡の一夜”…コーチに直訴「一人でもランナーが出たら岩瀬に」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

史上最年長となる41歳でのノーヒットノーランを2006年に達成した元中日の山本昌。「奇跡の一夜」の裏側では何が起こっていたのだろうか

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酒井俊作

酒井俊作Shunsaku Sakai

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JIJI PRESS

 日本プロ野球の長い歴史の中で、ただ一人だけ50歳まで現役を続けた男がいる。1983年のドラフト会議で指名され、中日一筋のプロ生活を全うした山本昌だ。今年、ついに還暦を迎えるレジェンドにとって、30余年のプロ野球人生は果たしてどんなものだったのか。本人に話を聞いた。《NumberWebインタビュー全5回の2回目/つづきを読む》

 40代の10年間で、山本昌が投手として示した極致は2006年の秋だろう。

 首位をひた走る落合中日は5連勝で勢いづく阪神を9月15日からナゴヤドーム(現バンテリンドームナゴヤ)で迎え撃った。

 首位攻防戦の初戦を制して5ゲーム差に拡大。そして翌16日、2戦目の先発を託されたのが山本昌だった。

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 初回、早くも阪神打線の狙いを察知した。

「1番の赤星(憲広)君がサードライナーを打って、2番の関本(健太郎)君がレフトフライ。2球で2アウトを取ったので、阪神は早打ちしてくるとすごく感じました。谷繁(元信)捕手が、1回が終わってすぐ、僕のところに来て『初球から打ちにきてますよ』と言ってきてね。僕も『わかってる』という、そういう会話があったんです」

 歴戦のバッテリーはファーストストライクから打って出る相手の意図を見抜いていた。普段よりも初球から勝負球を多用し、間合いも絶妙に外し、凡打を重ねていった。

 試合は静かに進んだ。4回に三塁の森野将彦が失策を犯したが、バックスクリーンは阪神の安打数が「0」のまま。打たれていないことは山本昌自身、最初から気づいていた。だが、「ノーヒットノーランなんてできるわけがない」と気にも留めていなかった。それでも、回を追うごとに山本昌の周りから人が消えていった。

「ランナーが出たら岩瀬に…」

 8回表もわずか6球の三者凡退でベンチに戻ると、近づいてきたバッテリーチーフコーチの森繁和に願い出た。

「ランナーがひとり出たら岩瀬に代えてください」

 9回。安打以外で走者を出しても、山本昌にはまだノーヒットノーランの可能性が残る。ここまで来たら狙おうと色気が出たのもたしかである。だが、その権利を自ら放棄するというのだ。それは3-0とリードする展開から判断したものだった。

【次ページ】 長い活躍でも…「辞めるのが怖かっただけ」

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