プロ野球PRESSBACK NUMBER
41歳“史上最年長ノーノー”達成はなぜ起きた? 中日レジェンド・山本昌が振り返る“奇跡の一夜”…コーチに直訴「一人でもランナーが出たら岩瀬に」
text by

酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byJIJI PRESS
posted2025/06/20 11:01
史上最年長となる41歳でのノーヒットノーランを2006年に達成した元中日の山本昌。「奇跡の一夜」の裏側では何が起こっていたのだろうか
山本昌は40代で一流として活躍していても、わが身の行く末を案じていたのだ。だから、ピンチであがく。11年、2月のキャンプ中に右足首をひねり、腓骨筋腱を脱臼。「手術」の選択肢が出てきた。だが、46歳でメスを入れて復帰を目指すことは常識としては考えられず、悩みに悩んだ。
元代表GKに「どれくらいで復帰できましたか」?
過去の症例を調べ、サッカーJリーグ名古屋の楢崎正剛が同じ故障で手術してカムバックしたことを知ると、新聞記者を通じて楢崎の連絡先を入手し、面識もないのに電話をかけた。
「どれぐらいで現場に復帰できましたか」
ADVERTISEMENT
山本昌にはひとつの覚悟があった。復帰まで1年を要するなら辞めよう――。だが、電話越しの楢崎はこう言った。
「手術して3~4カ月で試合復帰しました」
背中を押される思いだった。さらに球団からはこんな声も届いた。
「球団記録があるじゃないか。もう1年、どうなんだ」
「手術すれば治るそうです」
「それならやれよ」
山本昌は通算勝利数の球団記録である杉下茂の211勝に王手をかけていた。また、手術のタイミングで監督に就いたのが、連続最多勝を獲得した93、94年の指揮官だった高木守道だった。不思議な巡り合わせも選手生命を延ばした。
11年こそ一、二軍戦ともに登板できなかったが、翌12年は4月30日のDeNA戦で球団最多の212勝目。48歳になる13年は5勝を挙げた。これまで日本プロ野球では1950年、阪急・浜崎真二の48歳10カ月が史上最年長出場記録だった。まさか自分がそんな大記録を塗り替えることになるとは想像もできなかった。
山本昌はみずからの野球人生を「奇跡です」と言う。
プロに入って数年間はいつクビになるかと不安ばかりが募った。目の前で年下のライバルが活躍すると劣等感にさいなまれた。
中でも山本昌が絶望の淵に追いつめられたのは、入団4年目の87年夏のことだった。
<次回へつづく>

