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41歳“史上最年長ノーノー”達成はなぜ起きた? 中日レジェンド・山本昌が振り返る“奇跡の一夜”…コーチに直訴「一人でもランナーが出たら岩瀬に」
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酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byJIJI PRESS
posted2025/06/20 11:01
史上最年長となる41歳でのノーヒットノーランを2006年に達成した元中日の山本昌。「奇跡の一夜」の裏側では何が起こっていたのだろうか
走者がひとりかふたりかで、リリーフする守護神の岩瀬仁紀にかかる重圧がまるでちがう。塁上にふたりいれば一発を浴びれば同点になる。山本昌はこの一戦が持つ意味をわかっていた。念頭には自分のことよりもチームの勝利があった。
そして、球界史上最年長である41歳1カ月でノーヒットノーランを達成した。
この日の最速は137kmで、目の覚める球威があるわけではない。武器であるスクリューとカーブなどを交えて阪神打線を翻弄。4番金本知憲にも、多彩な変化球を駆使して3本のフライアウトに仕留め、完璧に封じた。阪神に引導を渡し、優勝へと大前進した一戦。プロ通算487試合目での快挙には山本昌の生き方が滲み出ていた。
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20代後半から30代前半に最多勝3回、沢村賞1回のタイトルに輝いたが、40代だけでも46勝を挙げ、2桁勝利が2度(06、08年の11勝)あった。
長い活躍でも…「辞めるのが怖かっただけ」
長く第一線のマウンドに立てたのは年齢で限界をつくらない心構えを持っていたからなのか――?
そんな問いを、山本昌はきっぱりと否定した。
「そんなことないですね。辞めるのが怖かっただけです」
40歳を超えた頃から、いつも引き際が脳裏にちらついていたという。山本昌は夏から秋にかけて調子を上げていくタイプだった。開幕から梅雨を迎えるまでは状態が上がらず、二軍暮らしが長くつづいたときに、不安に襲われたという。
「『小学3年生から着てきたユニフォームを着られるのはあと100日ぐらいだな。もうひと踏ん張りするか』。そのくり返しでした。辞めたあとに解説者や指導者になれるだろうか、どこかの企業に就職してイチから勉強するんだろうかとか、いろいろ考えました。現役時代は自分が野球の解説をできるとは思っていませんでしたから」

