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「宮崎敏郎、佐野恵太を抜擢」「曜日別勝率まで分析」ラミレス前監督がDeNAを強くできたわけ「データ重視、決断は変えない“ガンコ”ですね」
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村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byNanae Suzuki
posted2025/06/10 11:00
暗黒時代だったベイスターズを勝てるチームに育てたラミレス。その監督哲学、奇策の真実、今季のDeNAまでを語った
だが同時に、ラミレスほど賛否の分かれた監督はいない。成績を残した一方で、9番ショート倉本、代打ウィーランドなど「奇策」と呼ばれた数々の采配は、魔術師とも、奇術師とも、紙一重で暴挙とも取られることもあり、その采配に対する頑固さから首脳陣との衝突をたびたび生んだ。
どうやって常勝チームにするんだ?
退任から4年ほど。監督時代、何度もラミレスにインタビューするなかで、ずっと謎に思っていた。ラミレスは指揮官として絶対視したデータ、そのオペレーションに何を考え、どんな信念を貫こうとしていたのか。
「Yes、Yes、いい機会だから、何でも聞いてください。ラミちゃんはこんなことまで考えていたんだって皆さんにわかっていただけますからね」
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笑顔だったそれまでのラミちゃんがにわかに老眼鏡を外す。当時のラミレス監督の顔に戻った気がした。
「僕がベイスターズのカントクに決まった時、ベイスターズは20年近く優勝から遠ざかり、ほぼ毎年Bクラスという状況でした。当時も非常に若いチームでしたが、高田GMからは『このチームをAクラスの常勝チームにしてくれ』と、頼まれたんです。なかなか難しいリクエストですよ。その当時は、全然、選手の補強もしてくれないしね(笑)。『これ、どうやったらいいんだ』というのが正直なところでした。
ただ、当時の球団社長に、『簡単ではないと思うけども、ラミちゃんに一生懸命やってもらうしかない。頑張ってくれ』とエールをいただいてうれしかった。(補強がなかったからこそ、)自分でいろいろ試行錯誤して、チームを変えていく必要があったし、1年目に初CS、2年目で日本シリーズ出場と、結果が出たのは、やっぱり自分が頑固だったからだと思います。
信念を持ってやれば必ずチームは上昇する。この頑固さがもしなかったら、僕は1年でクビになっていたかもしれない」
勝てなければクビ
2016年。参入から4年、前任の中畑清監督は荒れ果てた土地から、戦える土壌を作ったが「3年でCS、5年で優勝」という当初の目標は果たせなかった。DeNAベイスターズは観客動員を大幅に回復させるなど絶大な人気を誇った中畑を替えてでも“勝てる監督”を欲し、その適任者としてラミレスを監督に選んだ。
勝てなければクビ。それは、現役時代から生え抜きの日本人ではない外国人として背負ってきた宿命。ラミレスは再びこの日本で勝つために、データを駆使する鬼になった。


