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「おまえはニキ・ラウダだ」…角田裕毅が更新したF1出走記録の元保持者・片山右京が現役時代に笑えないジョークを発した理由
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尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2025/06/06 11:02
1997年の片山右京。ミナルディで17戦を戦い、F1のキャリアを終えた
「ある記憶喪失の男が森の中で象さんに出会いました。そこで象さんに『私は誰でしょう?』と聞くと、象さんは『おまえは髪の毛も耳もないからヘビの仲間だろう』と言いました。そこで男はヘビのところへ行きましたが、ヘビはこう言いました。『おまえなんか知らない。あれ、火傷をして髪と耳をなくしているから、おまえはニキ・ラウダだ』」
ラウダは76年のドイツGPで大事故に見舞われて大火傷し、髪と耳の一部をなくしていた。この笑えないジョークに、当然ながら会見場がシーンと静まり返った。しかし、同時に片山がラウダをバカにしたわけではないこともわかっていた。デビュー2年目の日本人が記者の質問に英語で必死に答えようとして努力したにもかかわらず、大失敗に終わった様子を見て、同席していたアイルトン・セナとゲルハルト・ベルガーは腹を抱えて笑い転げていた。
ちなみに、その後ベルガーはフェラーリのモーターホームに帰ってアドバイザー役だったラウダに話をしたが、ラウダは「俺はヘビじゃない。ラット(=ねずみ/ラウダは「スーパーラット」という愛称で親しまれた)だぞ」と言って一笑に付したという。
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政治的、社会的に振る舞うことが多いF1の世界で、常に自分の言葉で話そうと努力する片山はドライバーからもメディアからも愛され、この笑えないジョークですら許された。
片山から角田に続く日本人ドライバーの系譜
そんな片山のもうひとつの魅力を語るジャーナリストが、スウェーデン人のフレデリック・AF・ピーターセンだ。
「ウキョウほど恵まれない環境でレースした日本人はいないと思う。彼はF1生活で3回しか入賞していないが、それ以上の成績を残せる実力を持っていた」
94年に3度入賞し、当時日本人の予選最高位となる5位を獲得するなど活躍した片山は、95年に向けてチャンピオンシップ争いをしていたベネトンからオファーを受ける。だが、当時所属していたティレルとの契約やバックアップしてもらっていたスポンサーの意向から移籍を断念した。
ピーターセンは、こうも続けた。
「リタイアを発表したときのことを覚えている。彼は自ら引退を発表。勇気ある行動だった」
片山はチームからはベテランとしての働きを評価され、翌年の契約延長のオファーをもらっていたが、後進にシートを譲りたいとステアリングを置くことを決断。片山が引退した翌年、入れ替わるようにしてプロストからミナルディに移籍してきたのが、2年目の中野信治だった。
そのミナルディは06年にトロロッソに生まれ変わり、20年からアルファタウリに改称され、21年にデビューしたのが角田だった。
それから4年が経ち、片山が保持していた記録は過去のものとなった。記録は塗り替えられたが、片山というドライバーの記憶はいまもF1の世界で生き続けている。

