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[レジェンドの視点]中嶋悟「F1の世界を楽しんでほしい」

posted2025/06/19 09:00

 
[レジェンドの視点]中嶋悟「F1の世界を楽しんでほしい」<Number Web> photograph by KYODO

34歳にしてF1の舞台に立った。“雨のナカジマ”との異名も

text by

大串信

大串信Makoto Ogushi

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KYODO

9年前、もし、スクールの校長を務めていなければ、“F1ドライバー角田”は存在しなかったかもしれない。レーサー、そしてチーム監督として百戦錬磨の先駆者が47歳年下の後輩に、優しくも熱いエールを送った。

 2016年1月、角田裕毅は16歳になる年に鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F、現ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿)の受講を決め、F1への第一歩を踏み出した。

 このとき、スクールの校長を務めていたのが、初の日本人F1レギュラードライバーとして活躍した中嶋悟である。

 中嶋は自分に続くF1ドライバーを日本で育て、将来的にはチャンピオンにしたいという願いを持ち、1995年にSRS-Fをホンダとともに立ち上げた。以降'18年まで校長として多くの有力ドライバーを育成している。

 その中嶋は、「スクール時代の角田についてほとんど記憶がない」と言い切る。

「スクールでスカラシップを得られるかどうかが人生の分かれ道になってしまいますから、受講生に私情を挟みたくなかったのです。僕が走行を見に行って評価する日があったんですが、車両は毎回入れ替えられているので、誰がどのクルマに乗っているかはわかりません。その状態で『今日は何番がおもしろかった、何番は良い感じだよ』という報告を出します。ただ、結果的に僕が一番評価していたのは角田だったみたいです。スクールカーはパワーが少なくて乗りにくいクルマなんですが、確かに、運転手の意思で積極的にクルマの方向を変える走りをしている生徒がいました」

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