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「僕はひとりで勝ってきたと思っていたけど…」達川光男がいま明かす“白血病のエース”北別府学から届いた一通の手紙<広島カープ・バッテリー秘話>
posted2025/06/17 17:29
1980年代に扇の要として広島カープの黄金時代を支えた達川光男
text by

酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
Shiro Miyake
発売中のNumber1121号に掲載の〈[阿吽の呼吸とは]達川光男「エースから届いた一通の手紙」〉より内容を一部抜粋してお届けします。
エース北別府から届いた一通の手紙
一通の手紙が達川光男に届いたのは5年前のことだった。それは現役の頃、広島の正捕手としてコンビを組んだ北別府学が病床でしたためたものだった。かつてのエースが抱く思いに触れ、達川は胸を衝かれた。
「北別府が白血病になって、明日、入院するという時だったね。『僕はいままでひとりで勝ってきたと思っていたけど、勘違いでした。達川さんのミットをめがけて投げていたから勝てました。本当にありがとうございました。お礼のひとつも言えず、申し訳ございません。必ず病気に勝って戻ってきますので、それまで少し待っていてください。ご飯でもご馳走させてください』。そんな手紙をくれたんよね」
1980年代に広島の黄金期を築いたふたりが現役で最後にバッテリーを組んだのは'92年9月19日の中日戦である。広島市民球場で完投勝利を挙げたあの日から28年が過ぎていた。長い歳月を経て、北別府はなぜ達川に手紙を書いたのだろう。そして、達川はどのように受け止めたのだろう。
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グラウンドを守る9人のなかで、投手と捕手だけが向かい合う。7月に70歳を迎える達川はその関係を「一心同体じゃね」と言った。18.44mのあいだにはふたりだけの濃密な時間がある。現役の頃、達川はそんな日々をすごすなかで捕手としての生き方を育んでいった。
球団最多の213勝を誇る北別府は達川にとってプロで生き抜くヒントを授けてくれたひとりである。とりたてて大柄ではなく、目の覚める快速球を投げるわけでもない。だが、打者との駆け引きの真髄に触れたとき、この投手の本当の強さを知った。
達川が惚れ込んだ2歳年下の「エースの気概」
ある試合で、北別府が打者を追い込むまでシュートをつづけてファウルを打たせたことがあった。懐をえぐる見せ球として打者に意識させ、これ以上投げてもファウルにしかならない。あとはスライダーで仕留めにいくだけだった。だが、北別府はさらにシュートを要求し、ファウルを打たせた。
不思議に思った達川は北別府に訊いた。
すると、こんな答えだった。
「要は打者に意識づけさせたかったんよね。これから先の打席まで考えて、打者の印象にシュートを残したいということやった」

