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《追悼・長嶋茂雄さん》「俺の親父の最後の願いをかなえてくれて」扇の要・村田真一とエース・斎藤雅樹が語り合う「長嶋さんは太陽そのものだった」
posted2025/06/04 11:11

2001年の長嶋監督(左端)退任セレモニーで、(右から)斎藤、村田、槙原も引退の挨拶
text by

赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph by
JIJI PRESS
――その'00年、長嶋監督は「負けたらお前のせいだぞ!」と珍しく審判に猛抗議しています。優勝目前の9月14日阪神戦、6-5で迎えた9回2死満塁。岡島秀樹が矢野燿大にカウント2-2からカーブを投げ、見逃し三振でゲームセット、かと思ったら、笠原昌春球審にボールと判定されて……。
村田 あん時は俺も「よっしゃー!」って立ち上がりかけた。その途端、「ボール!」「低い」と言われて「うっそおー!」よ。監督がベンチから飛び出してきて「コースか?」って聞くから、「低いんですって」と答えたら、もうムチャクチャ怒っちゃって「低い? 低くはないだろう!」。
斎藤 ベンチからだとコースはわからないけど、高低は見えますからね。でも、僕はその場面、見てないんです。当時は先発でない日は上がりだから。監督が抗議してる場面なんて一度も見たことがないなあ。
野村ヤクルトとの“遺恨対決”
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――長嶋監督時代は、野村克也監督率いるヤクルトとの“遺恨の対決”もよく話題になりました。'94年5月11日、神宮球場で大乱闘が発生し、退場者3人を出している。
村田 あの時のこともよう聞かれるけど、わからないよ。俺は(相手投手・西村龍次からの)頭部死球で失神して、担架で慶應(病院)に運ばれたからね。それから何が起こったか、いないから知らないもん。
斎藤 村田さんへの死球の後、グラッデンが頭の近くに投げられて、捕手(中西親志)を殴ったんだよね。そんな怒るほど危ない球じゃなかったんだけど、村田さんのことがあったからエキサイトしちゃって。
――長嶋監督自身はどう感じておられたんでしょう。当時、ヤクルト戦は死球が多いというようなコメントもしていましたが。
斎藤 それはもう、野村さんには絶対負けたくないって思いはあったと思いますよ。僕たちが見ていても、長嶋さんと野村さんはあんまり仲よさそうじゃないし(笑)。選手としても、監督に恥をかかせちゃいけないという思いで戦ってましたよね。