プロ野球PRESSBACK NUMBER
沢村賞を争ったのは「同期・野茂英雄」だった…あの“伝説回ドラフト”の広島1位指名・佐々岡真司がライバルを超えた日「18年の現役生活で一番投げた」
text by

中島大輔Daisuke Nakajima
photograph byL)KYODO、R)Tadashi Hosoda
posted2025/05/29 11:04

現役引退後は広島の監督も務めた佐々岡真司さん。現在は女子野球・三次ブラックパールズのGMを務めている
「当時は携帯電話もなく、パ・リーグなのでそこまで親交はなかったけれど、全日本代表で一緒にやった良きライバル。その中で一番上に立ったのは本当にうれしかったです」
最初に全日本のブルペンで投球練習を見た時には圧倒されたが、1989年に同じドラフト1位でプロ入りすると、2年目の1991年には沢村賞を争い、野茂を抑えて受賞した。
「1年目に巨人の胴上げ、ビールかけを見て…」
当時から30年以上経った今振り返ると、プロ2年目に球界の頂点まで駆け上がれた要因はどこにあったのだろうか。
ADVERTISEMENT
「好きな球団に入れて、1年目に独走した巨人が胴上げ、ビールかけをやっている姿を見て、『ああ、やっぱり優勝したいな』という気持ちになりました。1年目にすごくいいスタートを切れて、うまく行きすぎた中で新人王を獲れなかった悔しさを2年目にぶつける。疲労なんてまったく感じず、若さと勢いで行けて、とにかく優勝したい気持ちで臨めたのが2年目でした」
無我夢中で駆け抜けた1991年オフ、優勝旅行や祝賀イベント、取材に追われ、休む間もなく翌年の春季キャンプに突入した。シーズンでは調子が悪いながらも12勝8敗という成績を残すことができた一方、入団4年目に地獄を見る。
いずれもリーグワーストの(5勝)17敗、被安打206、自責点88を喫したのだ。
「前年に調子が悪くてもやっていけると思ったら、4年目はプロの怖さを知りました。僕のこういうところがいけないんだな、と。何をやってもうまく行かなくて、二軍に落としてほしいという気持ちもあったくらいです。負け続けるなかで1年間先発ローテーションを守って183イニング投げたけど、本当に苦しい1年でした」
佐々岡が考える「スーパールーキー」の条件
4年目で味わったプロの怖さをバネに、佐々岡は40歳になるまで通算18年間の現役生活を送った。史上6人目の100勝100セーブを記録するなど広島の球史に輝かしい栄光を刻むと、投手コーチを経て、2020年から3年間監督を務めた。
その時期にドラフト1位として入団してきたのが、ともに右投手の森下暢仁と栗林良吏だ。森下は2020年に先発、栗林は2021年にクローザーとして新人王に輝いた。
監督としてドラ1の2人を1年目から起用した佐々岡は、ルーキーが活躍する条件をどう考えているのか。