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沢村賞を争ったのは「同期・野茂英雄」だった…あの“伝説回ドラフト”の広島1位指名・佐々岡真司がライバルを超えた日「18年の現役生活で一番投げた」
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中島大輔Daisuke Nakajima
photograph byL)KYODO、R)Tadashi Hosoda
posted2025/05/29 11:04

現役引退後は広島の監督も務めた佐々岡真司さん。現在は女子野球・三次ブラックパールズのGMを務めている
「今と僕らの時代ではいろんなやり方が違うと思うけど、まずは『心技体』と言われるように心も体も強くなくてはいけない。技術的なものも、ピッチャーであれば強い球やキレのある変化球を投げられることが必要です。心技体の全部が強くないといけないけど、体が故障したら、なかなか上がってこられません。鍛えたから強くなるわけでもないと思いますし。僕の中では、体の強いことが一軍で活躍できる条件だと思います」
プロ18年の活躍は、ルーキーイヤーがあったから
佐々岡自身はプロ入りしてから大きな故障を一度もせず、39歳になる入団17年目まで年間20試合以上投げ続けた。先発、抑えと監督に命じられた持ち場で、調子が良くても悪くても、疲れていても腕を振り続けた。
その原点は、ルーキーイヤーにあった。
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「1年目に先発でも抑えでもある程度成功してやりがいを感じたから、それ以降も両方したと思います。(1994~98年の)三村(敏之)監督の時も、抑えから先発に回ることがありました。大野さんが先発にいくと僕が抑えで、大野さんが抑えになると僕が『先発しろ』となる。大野さんの状態に僕が左右されていたところもありました。それでもやりがいを感じたのは、1年目の成績があったからだと思います。それがなかったら、『嫌です』と言っていたかもしれない」
佐々岡のプロ野球人生で土台になったのは、ルーキーとしての成功体験だった。入団1年目に大きな自信を得られたからこそ、18年間右腕を振り続け、球史に名を刻む活躍をすることができたのだ。《インタビュー第1回、第2回も公開中です》

