酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「名鉄…経営参加してたの?」「杉下茂の頃から明大閥」じつは知らないドラゴンズ89年史「星野政権はセ制覇2回、落合中日は?」
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広尾晃Kou Hiroo
photograph byMiki Fukano
posted2025/05/31 17:01

前身の球団は1936年創設の中日ドラゴンズ。セ老舗球団の“じつは知らない”球団史とは
巨人が最終戦を終えて首位に立っていたが、試合消化が遅れていた中日が猛烈に追い上げ、0.5差でペナントレースを制した。捕手の中尾孝義がMVP。田尾安志、谷沢、宇野勝、ケン・モッカ、大島という打線に、都裕次郎、郭源治、三沢淳、鈴木孝政という先発陣を構築し、クローザーは牛島和彦。星野仙一がこの年限りで引退。日本シリーズは西武相手に敗退した。
その星野仙一が指揮を執った1988年に4回目の優勝を果たすが、巨人に12差をつける独走だった。前年、ロッテから大型トレードで移籍した落合博満が中軸で活躍。宇野勝や彦野利勝、ゲーリー・レーシッチに加えて、立浪和義が高卒1年目で遊撃手としてゴールデングラブ、新人王を獲得。投手は小野和幸が最多勝、小松辰雄、杉本正という先発陣。郭源治が最多セーブに輝き、MVPを獲得した。日本シリーズは西武に敗退。
5回目の優勝は11年後の1999年、第2次星野仙一監督の4年目、巨人に6差をつけた。阪神から移籍した関川浩一、レオ・ゴメス、福留孝介、山崎武司に立浪、現監督の井上一樹という野手陣。19勝した野口茂樹がMVP。川上憲伸、武田一浩という先発陣に、韓国の大エースだった宣銅烈がクローザー。日本シリーズはダイエーに敗退した。
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ここまで5回の優勝は、すべて巨人を2位に従えての優勝だった。また1994年はシーズン最終戦で巨人と中日が同率で並び立ち、球史に名高い「10.8決戦」の末、中日は敗退した。中日ファンが巨人をライバル視するのは、こういった歴史的背景も大きかったのではないか。
落合中日の「黄金時代」が凄まじい
そんな中日が「黄金時代」を迎えたのは2004年からである。この年から2011年までの8シーズンでリーグ優勝4回、日本一1回、すべてAクラスで、2007年に始まったクライマックスシリーズ(CS)にはすべて出場した。監督は落合博満。中日OBだが、これまでの監督とは色合いが違う印象だった。
《2004年》
ヤクルトに7.5差をつけての優勝、エース川上憲伸が最多勝でMVP、日本シリーズでは西武に敗退。
《2006年》
阪神に3.5差をつけて優勝。福留孝介が首位打者、MVP。日本シリーズは日本ハムに敗退。
《2007年》
巨人に1.5差の2位だったがCSで阪神、巨人を撃破して日本シリーズに。日本ハムとの2年連続の対戦となったが、この年加入した中村紀洋の活躍で、2度目の日本一に。
《2010年》
阪神、巨人と大接戦を演じたが阪神に1差で優勝。西武から移籍して3年目の和田一浩がMVP、しかし日本シリーズは3位から下剋上のロッテに敗退。
《2011年》
ヤクルトに2.5差をつけて優勝。浅尾拓也が45ホールドを挙げ中継ぎ投手として初のMVP。吉見一起が最多勝。日本シリーズはソフトバンクに敗退。
この8年間、荒木雅博、井端弘和の「アライバコンビ」、捕手の谷繁元信を中心にした「守りのチーム」が基本だった。打者では福留孝介、和田一浩のほか、森野将彦、タイロン・ウッズ、アレックス・オチョア、さらには大島洋平なども活躍した。
現代プロ野球の戦術の礎になった一方、現在は…
この2011年限りで落合博満監督が退任。以後、リーグ優勝は無し。CS出場も高木守道監督の2012年(2位)、与田剛監督の2020年(3位)の2回のみ。第2回で触れるが――落合中日が築き上げた戦術は、現代プロ野球の礎になっている。
2022年からは、ミスタードラゴンズ、立浪和義監督が采配を振ったが3年連続最下位。プロ野球草創期から命脈を保ってきた老舗球団の眠りは長い。強烈な個性で勝ち続けた「落合中日」のあと、ドラゴンズはアイデンティティを確立できていないように思える。たたき上げの井上一樹新監督は、新しい時代を作ることができるだろうか。〈つづく〉

