酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「名鉄…経営参加してたの?」「杉下茂の頃から明大閥」じつは知らないドラゴンズ89年史「星野政権はセ制覇2回、落合中日は?」
posted2025/05/31 17:01

前身の球団は1936年創設の中日ドラゴンズ。セ老舗球団の“じつは知らない”球団史とは
text by

広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Miki Fukano
戦前は「名古屋軍」「金鯱軍」の2球団が存在した
筆者の伯父は愛知県の病院に勤める医師だったが、年間指定席を買うくらいの「ドラキチ」だった。家に行くと、中日の記事を切り抜いたスクラップブックを見せてくれたりした。伯父は巨人戦のある日には「今日は伝統の一戦があるから」と言っていた。
一般的にプロ野球で「伝統の一戦」と言えば巨人対阪神のことを言う。しかし名古屋では「巨人対中日」もそうだ、という人が根強くいる。
日本のプロ野球は1936年に始まったが、草創期から今まで経営が変わらず存続しているのは、読売ジャイアンツ、阪神タイガース、中日ドラゴンズの3球団だけ。
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「巨人対阪神が伝統の一戦だというのなら、巨人対中日もそうじゃにゃあのか」
というのが、中日ファンの心情なのだ。
そもそも、名古屋にプロ野球球団が生まれた経緯、そして中日ドラゴンズとなってから紡いできた球団史はどんなものなのか――振り返ってみよう。
1936年、日本プロ野球の父、読売新聞社長の正力松太郎はプロ野球(職業野球)リーグの創設を思い立った。たまたま同じ時期に名古屋の新愛知新聞社と子会社の國民新聞社も別の「プロ野球リーグの創設」を考えていたが、これがとん挫して「正力構想」に合流することになり、名古屋軍を創設した。
ところが同じ愛知のライバル、名古屋新聞社も職業野球リーグに参加し、金鯱軍を創設した。草創期の愛知県には名古屋軍、金鯱軍と2つのプロ野球球団が存在した。しかし戦時中の「新聞統制令」によって新愛知新聞社と名古屋新聞社が統合して、中部日本新聞社となり、球団も合併して中部日本ドラゴンズとなった。
名鉄が経営参加した時期も…初優勝は1954年
1948年に中日ドラゴンズと改称。じつは1951年、名古屋鉄道(名鉄)が経営に参加して名古屋ドラゴンズになった時期もあったものの――ほどなく名鉄が経営から手を引いたため、1954年に再び中日ドラゴンズとなって現在に至る。
巨人対中日が「伝統の一戦」とあまり呼ばれないのは、東京、関西というに大都市圏の中間にあることも大きいと思うが――それとともに「弱い期間が長かった」ことも大きい。