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「ボコボコに殴られた」プロ野球合宿所で事件…「まずい、もう一杯!」あの“青汁CM”八名信夫、じつは日本ハム系選手だった…まさかの俳優転身ウラ側

posted2025/05/18 11:00

 
「ボコボコに殴られた」プロ野球合宿所で事件…「まずい、もう一杯!」あの“青汁CM”八名信夫、じつは日本ハム系選手だった…まさかの俳優転身ウラ側<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

あの青汁のCMで知られる名優・八名信夫(左)。写真は2014年、当時ホークス監督の秋山幸二と

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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Sankei Shimbun

「まずい…もう一杯!」。ネガティブなフレーズなのに愛されたあの青汁CM。1990年から25年以上にわたり起用されたのが八名信夫(89歳)である。じつは日本ハム(当時・東映フライヤーズ)OBで、のちに俳優として「名悪役」という独自のポジションを築いた八名が、その激動半生をNumberWebに語った。【全2回の1回目/2回目へ】

◆◆◆

「青汁? 飲んでねえよ(笑)」

 CMで「まずい…もう一杯!」と言い放ち、青汁を世に広めた八名信夫。89歳の現在、毎日飲んでいるのか聞くと、否定しながら豪快に笑った。

じつは元プロ野球選手だった…

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 遡れば、芸歴67年目を迎える“名悪役”は背番号13のプロ野球選手だった。なぜ、役者の世界に飛び込んだのか。俳優転身、悪役の道、青汁CM……全ては予期できない“まさか”が手繰り寄せていた。

 岡山東高校から明治大学に入学した八名は、1年の新人戦で優勝投手に。しかし、その才能が試合に出られない先輩たちの反感を買い、合宿所で拷問のような仕打ちに遭う。選手生命の危機を感じた2年秋、逃げるように退部した。

「先輩がいない時を見計らって、近藤和彦たち同級生6人が俺の布団を米屋のリヤカーで運び出してくれた。ありがたかったな。スカウトは誰が寮を抜け出すか調査していたみたい。本当はジャイアンツに行きたかったけど、誘われもしなかった(笑)」

 ドラフト制のない時代、広島や大洋、高橋ユニオンズなど数球団から声を掛けられ、1956年東映フライヤーズに入団。契約金は120万円だった。同年、高卒の米田哲也(阪急)は200万円、稲尾和久(西鉄)は50万円である。

「決め手は東京の球団だったから。でも、貧乏なチームだったな。(本拠地の)駒沢球場での試合中、自分たちで水を撒いたり、トンボで土を均したりしてた。グラウンド整備係もいたけど、少なかった。遠征の時なんか、若手は寝台列車の三等車だよ。新人は3段ベッドの1番上。先輩がタバコを吸うから、煙が上に溜まるんだよ。寝られねえよ(笑)」

合宿所でボコボコに殴られ…

 合宿所『無私寮』は病院を改築した建物だった。“暴れん坊フライヤーズ”と呼ばれたチームでは、考えられない出来事が起こっていた。

【次ページ】 試合中に骨折…まさかの俳優転向

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