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「貧乏すぎて公園の土管で寝ていた」…8年のブランク→75秒KO負けデビューから“世紀の番狂わせ”まで成り上がった木村翔の波乱万丈ボクサー人生 

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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photograph byTadashi Hosoda

posted2025/05/12 11:02

「貧乏すぎて公園の土管で寝ていた」…8年のブランク→75秒KO負けデビューから“世紀の番狂わせ”まで成り上がった木村翔の波乱万丈ボクサー人生<Number Web> photograph by Tadashi Hosoda

2025年4月、“世紀の番狂わせ男”木村翔は万感の思いで引退興行を行なった

亡き母のために、もう1回挑戦を

「俺は親孝行を何もしていなかったなって。そのとき、母親のためにも、この世に“木村翔”の名前を残さないといけないと思ったんです。いまの俺に何ができるかを考えると、ボクシングしかなかった。母親はすごく応援してくれていたので。だから、もう1回、チャレンジしてみようと」

 リングから遠ざかっている時期も、ボクシングをまったく見ていなかったわけではない。同じ軽量級でインターハイに出場し、高校2年時、3年時に優勝していたエリートが脚光を浴びる姿は気になっていた。2011年2月、21歳で世界チャンピオンの称号を得た井岡一翔である。

「高校時代からずっと知っていたので、ちょっと考えさせられる部分はありました。心のどこかで、俺もできるかもしれないなって」

再スタート、そして75秒KO負け

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 木村が会社員を辞め、再びグローブを手に取ったのは23歳のときだ。熊谷から裸一貫で上京し、高田馬場駅近くの青木ジムに入門した。ブランクは8年。最初は思うように体が動かずに苦しんだが、必死に歯を食いしばった。生活するために朝から夕方までは酒屋の配達バイト。仕事が終わってから、ジムで追い込む毎日を過ごした。

 そして、24歳で迎えたプロデビュー戦。誰が相手でも負ける気はしなかった。相当な自信があったのだ。2013年4月22日の夜は、いまでもよく覚えている。手に負えないような強敵ではなかったものの、試合では猛練習の成果を全く発揮できなかった。1ラウンド75秒のKO負け。後楽園ホールのキャンバスに尻もちをつき、プロボクシングの怖さを思い知らされた。

【次ページ】 思わぬ敗北で得た気づきを糧に…

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