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「貧乏すぎて公園の土管で寝ていた」…8年のブランク→75秒KO負けデビューから“世紀の番狂わせ”まで成り上がった木村翔の波乱万丈ボクサー人生
text by

杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byTadashi Hosoda
posted2025/05/12 11:02
2025年4月、“世紀の番狂わせ男”木村翔は万感の思いで引退興行を行なった
熊谷から頭角を現した中高時代
地元の熊谷コサカジムでサンドバッグを叩き始めたのは中学校3年生の頃だ。血気盛んな14歳はケンカで強くなるためにジムの門を叩き、世界チャンピオンになる夢を抱いた。
高校はボクシング部のある県内の本庄北(現在は県立本庄高校と統合)を選んだ。負けん気の強い右構えのファイターはあっという間に頭角を現し、1年目から夏のインターハイに出場。早い段階から名の知れた大学にも目をつけられていたようだ。そのまま順調に成長していけば、スポーツ推薦で進学できるという話を顧問の先生からも聞かされていた。
「それなのに、あの頃の僕は何も分かっていなかった。周りの仲間たちのようにバイトして、遊びたいばかりだった。インターハイの初戦で負けてからは、やる気がなくなって、もうダメでした。ボクシングはやらされてできるスポーツではないので。
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放課後、周りは遊んでいるのに、自分だけきつい練習をするのが耐えられなくなって。ボクシングに打ち込む約束で進級させてもらったのに、2年生に上がり、すぐに部活を辞めたんです。周りには止めてくれる人もいたのに……。最低なヤツでしたよ」
ボクシングを辞めてヤンチャ生活に
若気の至りだったのだろう。高校生の木村は退部した後ろめたさも感じず、自由奔放な高校生活を謳歌。17歳のときにはパンチパーマをかけ、バイクにも乗れば、ケンカにも明け暮れた。
「たくさん遊びましたよ。あの頃は何をやっても楽しかった」
将来は家業の屋根屋さんを継ぐつもりだった。高校卒業後はその勉強を兼ねて、建築関係の会社に就職したが、営業職の仕事に面白みを感じることはできなかった。目的意識を持たないまま青春時代を過ごしていると、母親が乳がんで他界してしまう。20歳のときである。ふと立ち止まり、胸に手をあて、自らの人生を考えた。

