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あの米田哲也と張本勲18歳が対決“じつは酷評されていた”張本のプロ1年目「悔しさで眠れない」4歳で大ヤケドから“日本記録3085安打”達成するまで
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岡野誠Makoto Okano
photograph byKYODO
posted2025/05/11 11:01
東映時代の張本勲(左)と山本八郎。1958年撮影
〈ああ、これでもうダメだ。明日から二軍落ちかもしれないとガックリきた。夜、悔しさで眠れない。眠れないうちに、考えた。いや、打って打てない球ではないぞ、ひるむな、向かっていくんだ……と自分にいいきかせた〉(※12)
岩本監督は、翌日も高卒ルーキーをスタメンで起用。意気に感じた18歳は1打席目にプロ初ヒット、2打席目に初ホーマーを放つ。いずれも初球打ちであり、前日を含む3打席全ての球でバットを振った。積極性を武器に、張本は5試合目まで打率.467(15打数7安打)と打ちまくった。
不調でスタメン落ち…復活するまで
しかし、次の日から4試合連続ノーヒットでスタメン落ち。5月はベンチを温める日が増え、月間打率.176と低迷。その頃、張本は八郎に相談する。だが、「右打者のオレとしては、どう教えていいかわからん」と言われ、同じ左打者で2年連続3割打者の毒島章一に教えを請うた。すると、こう一刀両断された。
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〈なに? スランプ? スランプという言葉はね、まだ1年生の君たちが使う言葉じゃない〉(※13)
この直言を噛み締めた張本は他人に頼らず、自力で這い上がると誓った。そして、皮肉にも八郎の起こした大事件が張本に“運”を与える。5月30日の近鉄戦(駒沢)で八郎が加藤昌利捕手に暴力行為を働き、退場処分となる。4日後、パ・リーグの理事会が開かれ、八郎に無期限出場停止の処分が下された。
〈つづく〉
※肩書きや名前、記録は当時
※引用元は同連載3回目にまとめて記載
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