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「野村克也監督がマウンドに走ってきた!」“どえらい状況”に大焦り…“vsイチロー”シリーズで快投! ヤクルト山部太「最高の1年」秘話
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byTakahiro Kohara
posted2025/05/10 11:03
1995年の日本シリーズ、対オリックス第2戦。山部太はロングリリーフで勝利を挙げて野村克也監督に迎えられる
「1年目は1勝だけで、腰痛もあって1年間稼働できなかった。(2年目の)前半戦はかなり頑張ったんで、かなりの疲労感がありました。ここまで投げた経験がないし、球速も明らかに落ちましたから。調子が良かった前半戦の反動で、不調の波が襲ってきた感じはありましたね。プロのスタミナは全然違ったし、まだまだ自分には足りない要素でした」
調子が落ちている自覚はありつつ、それでも1シーズン走り切って2年ぶりのリーグ制覇に大きく貢献する。チームトップの16勝(7敗)を挙げ、144の奪三振はチームで石井一久の159に次いで2番目。チームMVP級の働きを見せた。
良きライバル、石井一久
石井は山部の2年前のドラフト1位で、年は山部のほうが3つ上。遠征はホテル2人1部屋制だったために組まされることが多く、仲も良かった。気を遣わなくていい良き仲間であり、かつ良きライバルであった。
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「NTT四国のときもプロ野球に特別関心があったわけじゃないんで、ヤクルトが強いのは知っていてもどういう選手がいるなんてそこまでは知らなかった。石井一久の投球を初めて見たときにはそれはもうびっくりしましたよ。自分より速いボール投げるし、凄いヤツがいるなって。頑張って石井に勝ちたいとは思いました。凄い先輩たちがいっぱいいたのでチーム内にいい競争があったのも力をつけることができた要因ではあります」
チーム内でしのぎを削り合って手にした16勝でもあった。野球人生初めての優勝を味わうと同時に、強いチームに飛び込んで成長できている感触を得たことが何より嬉しかった。


