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「野村克也監督がマウンドに走ってきた!」“どえらい状況”に大焦り…“vsイチロー”シリーズで快投! ヤクルト山部太「最高の1年」秘話
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byTakahiro Kohara
posted2025/05/10 11:03
1995年の日本シリーズ、対オリックス第2戦。山部太はロングリリーフで勝利を挙げて野村克也監督に迎えられる
絶対絶命のピンチを切り抜ける
野村から直に笑顔で声を掛けられることなんてなかった。野球を教わった人であり、威厳を感じる人でもある。人づてに厳しい言葉を聞いたこともある。
「いいことを言われたっていうのはなかったですよ。神宮から引きあげるときに『お前が打たれたせいで、俺の車に傘投げられたぞ』とかグチはありましたけど(笑)。
でもヤル気に火をつけるのは、凄くうまい監督さんでしたよね。『監督がこんなことを言っていたぞ』と周りから聞いて、見返していかなきゃと頑張ろうと思えましたから。陰のパワーっていうんですかね。だからと言って、嫌いだとかはまったくなかったですよ。結婚式では沙知代さんと立会人を引き受けていただいていますから」
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仰木彬のお株を奪う、野村マジックがズバリと当たる。
リラックスした山部は、勝呂壽統を三振に仕留める。絶体絶命のピンチを切り抜けたのだ。
山部は延長11回までロングリリーフし、勝ち投手となった。10回にはイチローをしっかりと抑え、打たれたヒットは最初の1本のみ。相手に傾きかけた流れを渡さず、敵地で2連勝したことがチームに弾みをつけた。
「本当に充実していた」1年間
神宮に戻った第3、4戦でも中継ぎで登板。結局チームは第5戦で2年ぶりの日本一を決める。歓喜の輪のなかに、背番号「19」の姿もあった。
優勝が、日本一がこんなに喜べるものだとは思わなかった。
「いやもう最高ですよ。だって優勝旅行はあるし、給料は上がるし、言うことなかったです。あの1995年は本当に充実していました、まあでも、そんなに甘くはなかったですね」
日本シリーズの戦いのなかで体にちょっとした異変を感じていた。
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