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ヤクルト「1995年だけの左腕エース」山部太の伝説…愛媛のソフトボール少年がセンバツ優勝宇和島東を倒してドラフト候補も「プロには興味なかった」

posted2025/05/10 11:02

 
ヤクルト「1995年だけの左腕エース」山部太の伝説…愛媛のソフトボール少年がセンバツ優勝宇和島東を倒してドラフト候補も「プロには興味なかった」<Number Web> photograph by Koji Asakura

1993年のドラフト1位でヤクルトに入団した山部太。95年に16勝と鮮烈な活躍を見せたが、その後長く故障と戦った男の野球人生を聞いた

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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Koji Asakura

ドラフト1位で入団したからといって長く活躍できる保証はない。ファンの記憶に強く刻まれる輝きは1年だけだったかもしれないが、その後も「細く」長く戦い続けた“1年だけの左腕エース”。そんな男の野球人生を追った。その名は山部「太」——。〈全3回の1回目/つづきを読む

 今から30年前の1995年。

 阪神淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件という日本に暗い影を落とした1年であったことは言うまでもない。スポーツに目を移せば、海を渡った野茂英雄がドジャースでトルネードブームを起こした年でもあった。

 その年のプロ野球、野村ヤクルトがとにかく強かった。4月から一度も首位を譲ることなく2年ぶりのセ界制圧を果たし、日本シリーズにおいて「がんばろうKOBE」を合言葉に一致団結するオリックスを4勝1敗で下している。

ヤクルト史上最強の先発ローテーション

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 投手陣の頑張りがとにかく凄かった。テリー・ブロスが14勝、石井一久が13勝、吉井理人と伊東昭光が10勝と2ケタの勝ち星を挙げるピッチャーがズラリとそろうなか、もう一人絶対に忘れちゃいけない人がいる。奮投するピッチャー陣に置いて最も多く先発し、最も多い「16」の勝ち星を挙げたのがサウスポー、山部太である。

 1993年のドラフト1位でNTT四国から入団した社会人ナンバーワンピッチャーと評された人は2年目になって大化けする。150km近いキレのあるストレートを武器に、後半戦は中継ぎもこなして勝利を呼び寄せるキーマンとなった。

 もちろん投手陣を支えたキャッチャー古田敦也、抑えの高津臣吾を抜きに語れないが、山部の活躍なくしてこの年の「強いヤクルト」は成り立たなかった。ただ13年間のプロ生活において95年以上の輝きを放つことはなかった。山部とは何者だったのか——。

【次ページ】 愛媛のソフトボール少年だった

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