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「130キロで松井秀喜をどう封じるか」クビ寸前の31歳はなぜ巨人キラーに? 野村再生工場の最高傑作・遠山奬志「最後、松井にウソついた」 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph bySankei Shimbun

posted2025/04/30 17:02

「130キロで松井秀喜をどう封じるか」クビ寸前の31歳はなぜ巨人キラーに? 野村再生工場の最高傑作・遠山奬志「最後、松井にウソついた」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

巨人・松井秀喜から三振を奪う阪神・遠山奨志(1999年)

 抑えるたび“ゴジラキラー”の名声は高まったが、内心では「もう言わんといてくれ」と思っていた。

「やればやるほどマスコミさんは騒ぎ立てる。でもよくあるじゃないですか。何打席抑えてますね、と言われたら、次の瞬間に打たれるというのが。それが嫌だったから、当時は取材を極力受けたくなかったんです(苦笑)。

 でも今思えば、本当にありがたいですよね。あのタイミングで、松井や高橋がいて、そこに当てさせてくれた。やっぱりそういう名のあるバッターが、メインがいないと、どうしようもないですから。彼らと対戦して、そういう形になったからこそ、今でもこうやって取材を受けたり、(引退後に)解説をしたり、今高校で指導させてもらえている。本当に彼らに感謝しているんです。だから松井がメジャーに行くとなった時、『松井、バットくれ』って言ったんですよ(笑)」

東京ドームで松井秀喜についたウソ

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 2002年、松井が巨人でプレーした最後の年の東京ドームで、実はこっそり頼んだ。

「親戚が松井のファンで、どうしてもって言うんで、バットくれへんか?」

 親戚がファン、というのは実はウソだった。

「だって僕が欲しいって言ったら、くれないでしょ。メジャーに行くって新聞にも載ったから、こらいかんと思ってね。断られるかなと思ったけど、『あ、いいですよ』って。いいやつですよ、松井は。ありがとうございますって感謝しながら、そのバットは今も僕が大切に持ってます(笑)。

 あとで野村さんには怒られたけど。だって松井、ホームベースのところで渡すんですもん。『いやいや松井、それは裏で渡すもんやろ、裏で!』って(笑)。野村さんが『あんの野郎』という目で後ろから見てるんですよ。『お前、そういうことするから打たれるんだよ』って。でも『よう言った』と、あの時の僕を褒めたい。サインももらっとけばよかった、と後悔したんですけど」

「バットもらっててよかった」

 メジャーに渡り、ワールドシリーズを制覇した松井の姿を、遠山は誇らしい思いで見ていた。

「もう純粋に一ファンとして応援していました。やっぱり一緒にやってたし、向こうでもやって欲しいし。自分と同じようなタイプが来たら『打ってくれや』と思った。敵どうこうじゃないから。ただ単にチームが違っただけだから。ワールドシリーズのあのMVPは、感動しました。さすがやな、と。『バットもらっててよかった』って(笑)。本当にいい思い出です」

 一時代を共に生き、生かされ、真剣勝負を繰り広げた同志を語る時、遠山の表情は今でも溌剌と輝く。

第3回につづく〉

#3に続く
「遠山-葛西-遠山-葛西」阪神タイガース“暗黒時代”を支えた伝説の継投…崖っぷち左腕が野村克也に学んだ“奇策”の意味「巨人をチームとして見るな」
この連載の一覧を見る(#1〜3)

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