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「史上最高の新人王争い」はいつか? 近鉄・阿波野秀幸と日ハム・西崎幸広が振り返る「初めての賞が新設された」1987年のスーパールーキー伝説
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byTakahiro Kohara
posted2025/04/29 17:01
1987年、プロ野球史上最高とも言われる新人王争いを繰り広げたスーパールーキーだった日本ハム・西崎幸広と近鉄・阿波野秀幸
甲子園大会や大学、社会人で活躍した有望株がドラフト会議で1位指名されるのは、昔も今も変わらない。1986年ドラフト会議の目玉は享栄高校のサウスポー・近藤真一(5球団が競合)だった。
「凶作」とスカウトたちが嘆いたこのドラフトで指名された67選手のうち、プロ1年目から一軍で戦力となった選手は少なかった。しかし、その中にプロ野球の歴史を変えることになるふたりのスーパールーキーがいた。
信じがたい成績で新人王を争ったふたり
3球団競合の末に近鉄バファローズに入団する阿波野秀幸(亜細亜大学)と、近藤の抽選に外れた日本ハムファイターズから1位指名を受けた西崎幸広(愛知工業大学)だった。
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1987年4月12日にプロ初登板で完投勝利を挙げた阿波野は前半戦だけで9勝をマーク、オールスターゲーム出場も果たした(第3戦に勝利)。8月は1勝もできなかったものの、9月には5連勝。249回3分の2を投げて15勝(22完投)12敗、防御率2.88。
日本ハムのローテーションを任された西崎は221回3分の1を投げて15勝(16完投)7敗、防御率2.89。ふたりは遜色のない成績で1年目を終えた 。
その年に活躍した選手に贈られる新人王は新聞社・通信社・放送局に勤める野球記者の投票によって選ばれるが、その栄誉にあずかるのは各リーグにひとりだけ。投票の結果、投球イニング数、完投数で上回った阿波野が新人王、西崎には「会長特別賞」が与えられることになった。
史上初の賞が新設された
身長180センチほどながら体重60キロ台の細身のふたりによる新人王争いは、野球記者を最後まで悩ませた。その後の受賞者を見ても、阿波野と西崎ほどしのぎを削ったルーキーはいない。「史上最高の新人王争い」だと言っていいだろう。
新人王に選ばれなかった選手に特別賞が与えられたのは史上初のことだった。
あれから40年近くが経った。1位指名を受けた球団でエースとして君臨したのち他球団に移籍、30代後半でユニフォームを脱いだふたりの“トレンディエース”は今、何を思うのか。
60代になった彼らにあの頃のこと、しのぎを削った“ライバル”について語ってもらおう——。
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