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「史上最高の新人王争い」はいつか? 近鉄・阿波野秀幸と日ハム・西崎幸広が振り返る「初めての賞が新設された」1987年のスーパールーキー伝説

posted2025/04/29 17:01

 
「史上最高の新人王争い」はいつか? 近鉄・阿波野秀幸と日ハム・西崎幸広が振り返る「初めての賞が新設された」1987年のスーパールーキー伝説<Number Web> photograph by Takahiro Kohara

1987年、プロ野球史上最高とも言われる新人王争いを繰り広げたスーパールーキーだった日本ハム・西崎幸広と近鉄・阿波野秀幸

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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Takahiro Kohara

プロ野球史上には、驚くような成績を残した「スーパールーキー」が数多くいる。だが、これほどまでに拮抗した、同タイプの凄まじい新人ふたりが同一リーグに現れたのは、1987年が最初で最後だろう。阿波野秀幸と西崎幸広——。史上最高の新人王争いはいかにして繰り広げられたのか。〈NumberWeb特集「スーパールーキー伝説/阿波野と西崎」:全5回/阿波野秀幸編を読む

「スーパールーキー」という言葉を聞いて、プロ野球ファンはどの選手を思い浮かべるだろうか。

 投手で言えば、20 世紀の終わりに20勝をマークした上原浩治 (読売ジャイアンツ)、高卒ルーキーながらイチロー(オリックス・ブルーウェーブ)と名勝負を繰り広げた松坂大輔(西武ライオンズ)。2003年に新人王に選ばれた和田毅(福岡ダイエーホークス)、2007年の田中将大(東北楽天ゴールデンイーグルス)などの名前が挙がるはずだ。

 彼ら、ドラフト 1位指名を受けたルーキーたちはプレッシャーに押し潰されることなく、プロ1年目から二桁勝利を挙げ、その後も順調に勝ち星を積み上げていった。

NPB→MLBが当たり前になる以前の時代

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 選手に他球団への移籍の自由が認められるFA(フリーエージェント)制度が導入されたのは1993年のシーズンオフのこと。それまで、エースや四番打者は入団した球団で選手生命を終えるのが幸せなことだと考えられていた。引退後には監督・コーチとして後進の指導に当たることが当然だというのが球団関係者の常識だった。

 しかし、21世紀になってその価値観は大きく変わった。上記の4人はエースとしてチームをリーグ優勝・日本一に導いたのち、メジャーリーグへと旅立っていった。

 彼らがプロ野球選手になる前、1980年代に時計の針を戻してみよう。

【次ページ】 信じがたい成績で新人王を争ったふたり

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