- #1
- #2
甲子園の風BACK NUMBER
「どうせ通信制でしょ、と言われますが…」センバツ初出場で話題「エナジックスポーツ高校」のナゾを追う…開校“わずか4年”で甲子園出場のウラ話
text by

沢井史Fumi Sawai
photograph byFumi Sawai
posted2025/03/21 06:00

開校4年目で甲子園初出場を果たした沖縄・エナジックスポーツ高等学院。印象に残るカタカナ高名ではあるが、そのナゾの実情とはいったい…?
開校してわずか4年でセンバツ出場へ――と言うとチームはいかにも順風満帆に羽ばたいていったかのような表現に映る。だが、実は開校した1年目は部としての活動はほとんどできていない現実があった。
「廃校になって10年近く経っている校舎をリニューアルするところから始まって環境を整備してきたんですけど、環境を見ればそりゃあ野球ができるのか不安になりますよね。21年は選手が集まらなくて何もできないままだったんです」
当初は苦戦も…「3年で甲子園に行く」
定年退職後、再雇用制度で指導してきた美里工を退任後、21年8月に神谷監督が就任したが、本格的な活動ができるようになったのは22年になってからだ。
ADVERTISEMENT
4月に、ようやく1期生16人が入学した。そのうち野球部は15人。長方形の「校庭」とも言っていい校内敷地のグラウンドのほか、22年秋に完成した全面人工芝の室内練習場のほか、ピッチャーのトレーニングには、あの波の音を奏でる学校前の砂浜を貴重なランニングの場として活用している。浦添商、美里工時代の教え子たちがコーチとして指導の脇を固める。因みに来年秋には学校近くに野球部専用グラウンドを作る計画も固まり、近く工事も始まる予定だ。
ただ、神谷監督は監督就任時「3年で甲子園に行く」という自身に発破をかけながら今に至っている。
「美里工の時もそんな風に自分にプレッシャーをかけて、実際に3年で甲子園に行けたんです。当時の美里工は低迷していて、最初からそういう気概でないと甲子園に行けないと思ったので。一歩目からどんどん行かないと。美里工でもそれで(甲子園出場を)実現できたんだから、ここでも出来ると思いながらやってきました」
そんなエナジックスポーツの名が全国に広まったのは、昨夏の県大会での「ある出来事」がきっかけだった。
<次回へつづく>
