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「東京ヴェルディに城福浩を呼んだ男」江尻篤彦はなぜ“確信”していたのか?「自分から一番遠くにあるクラブ」と固辞されるも再度オファーしたワケ
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近藤篤Atsushi Kondo
photograph byAtsushi Kondo
posted2025/02/26 11:00

東京ヴェルディの強化部長を務める江尻篤彦。城福浩監督を呼んだ人物がそのオファーにいたる秘話を明かした
「プロになる前に、自分は会社員として古河電工で3年働いて、その後クラブレベルでのプロ選手、あるいは代表も経験させてもらいました。オシムさんという偉大な監督のもとでコーチもやらせてもらえたし、そしてジェフの監督としてたくさんの失敗も含めて、さまざまな経験を積ませてもらった。Jリーグが始まってまだ30年、周りを見渡してみても、僕のようなキャリアの持ち主で強化部長をやっている人はたぶんいません。そこが僕の強みなのかな、と」
監督に寄り添える強化部長、彼はそう自分を表現する。
「ヴェルディの強化部長の職について2年が過ぎ、J1に上がりたいなという気持ちが強くなったんです。要は、勝つチームを作りたいと。それまでのヴェルディは育成に長けていて、下のカテゴリーから選手をトップに引き上げて、というのが特徴になっていた。まあ実際のところは財政的にそうせざるを得ない、というのが実情でしたけど。良い部分はより伸ばして、変えなきゃいけないところは変えながらJ1を目指す。そのためには、監督はある程度経験がある人、J2からJ1に上げたことのある人がいい。だから城福さんに引き受けてもらえないか、となりました」
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しかし、予算も含め万全の準備をしたにも関わらず、そのシーズンの冬に江尻が出したオファーは頑なに断られてしまう。Jリーグに所属する60クラブの中で、東京ヴェルディは「自分から一番遠くにあるクラブ」。それが城福浩の答えだった。
江尻の確信「城福がヴェルディに来れば」
元々富士通の社員としてサッカーをやり、社業に専念し、その富士通を辞したのち、城福浩がサッカーの世界でキャリアを築き上げてゆくきっかけとなり、その名前を世に知らしめることになったのがFC東京というクラブであることは、サッカー界では誰でも知っている。色で例えるなら、城福浩は「青色」、その彼が同じ東京に身を置いて緑色に染まることなどあり得なかった(そして江尻のキャリアを色で例えるなら元々は「黄色」となる)。
「勝算があってのオファーだったので、正直ショックではありました。まあでもその後も、城福さんにも興味を持ってもらえるようなチームづくりが大事だと、そこは継続していましたね。B級だったかな、僕が監督ライセンスをとりに行ったとき、城福さんは協会側のインストラクターの仕事をされていたんです。その言葉を聞いて、行動を見て、なるほどこういう人だからFC東京でも、甲府でも、広島でも結果を出されたんだな、ということはよく理解できました。そして城福さん自身、ヴェルディに来るには強い覚悟が必要なんだということも、もちろんわかっていました」
もし城福がヴェルディに来てくれれば、とんでもなく大きな変化が起こることを、江尻は確信していた。だから、どうしてもタッグを組みたかった。
半年後、江尻はもう一度オファーを出した。
<続く>
