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「東京ヴェルディに城福浩を呼んだ男」江尻篤彦はなぜ“確信”していたのか?「自分から一番遠くにあるクラブ」と固辞されるも再度オファーしたワケ
text by

近藤篤Atsushi Kondo
photograph byAtsushi Kondo
posted2025/02/26 11:00

東京ヴェルディの強化部長を務める江尻篤彦。城福浩監督を呼んだ人物がそのオファーにいたる秘話を明かした
J1への昇格を果たした2023年シーズンから、そのJ1で6位と躍進した昨季にかけて、東京ヴェルディというチームは常に城福浩という人を中心に語られてきた。でも、と僕はあることに気づく。城福浩はある日突然、稲城市のクラブハスに現れ、今日から私が監督をやりますから、と仕事を始めたわけではない。カレに監督をやってもらおう、そう決めた人物がいるわけだ。
彼の名は江尻篤彦、5年前から東京ヴェルディの強化部長をつとめている人物だ。
江尻は、試合の時も、練習の時も、だいたいいつも選手たちからちょっと離れたところに身を置き、だいたいいつも不機嫌ではないけれど難しそうな顔をして、ピッチに視線を送っている。そして、ときどきピッチの方に近寄って行っては、監督と少しの時間話をしたり、スタッフと話をしたりする。僕らに挨拶をするときはフレンドリーな笑みを浮かべるけれど、一人になるとまた何かを考えている顔に戻る。
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今年のキャンプ、名護でもそれは変わらなかった。更衣室のある2階建ての建物のテラスから、あるいはグラウンドとその向こうに広がる美しい名護湾を隔てる土手の上で、目の前で繰り広げられるトレーニングの風景を眺め続けていた。
ジェフの生え抜きがなぜヴェルディ強化部長に?
――いつも練習を見て、何を考えているんですか?
「いやー、とくに何も考えてはいないですけどね(笑)」
江尻の話を聞けたのは、名護に着いて4日目の午後だった。眼下にブルーの海が広がるホテルの部屋で、僕はまず一つ目の質問を彼に投げる。そもそもジェフ生え抜きの江尻さんがなんでヴェルディの強化部長に就任したんですか、と。
Jリーグが始まった1993年、彼はジェフユナイテッド市原の選手だった(控えめに評しても、素晴らしいミッドフィルダーだった)。その5年後、98年に現役を引退すると、その後は名将イビチャ・オシムのもとでコーチを務め、ジェフの監督も2度つとめている。
「当時、ヴェルディの社長をやっていた方は僕が現役時代にジェフで広報部長をやっていた方で、そのつながり、ご縁でこの仕事のオファーをいただいたんです」
ただし、この言葉は鵜呑みにはできない。「5年前のヴェルディ」の強化部長を引き受けるというのは、火中の栗を拾う役のようなものだ。そんなところに手を突っ込む人間はそうそういない。
「まあ僕は子供の頃からそういう役を引き受けることが多いんですよ。勉強ができたわけでもないのに、だれもやりたがらない学級委員長とかキャプテンとかをやらされて。誰もやらないなら自分がやるしかないな、となっちゃう。あとは、やっぱりチャレンジが好きなんでしょうね」
城福に1度目のオファーを出すも固辞され…
――監督としては満足のゆく結果を出しきれないまま強化部長の職につく、そこに複雑な気持ちはなかったですか?
「もちろんありました」
彼は即答し、でもその監督としての経験が今の自分には役に立っていることにフォーカスする。