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「うわ、坂本やん」鮮烈甲子園デビューも“わずか6年”で戦力外通告…阪神ドラ1左腕に突きつけられた現実「その後は球団職員を1年で辞めて…」
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栗田シメイShimei Kurita
photograph byJIJI PRESS
posted2025/02/14 11:08

一軍初登板となった甲子園での巨人戦。勝ち星こそつかなかったが、活躍を予感させるピッチングだった(2015年)
続くビジターでの西武戦では、3回途中4失点で早々にKOされる。微妙なマウンドの傾斜が体に馴染まず、コントロールが定まらない。メヒアには逆方向にスタンドに運ばれ、3回には甘く入ったカーブを中村剛也に痛打された。
「中村剛也さんは打った瞬間に首をかしげていた。『よし、レフトフライか』と思っていたらレフトスタンドに届いていた。正直、意味が分からなかったですよ。やっぱりプロの世界は違うな、と」
それでも1年目はしっかり投げれば抑えられるという手応えの方が大きかった。そんな中、翌年の飛躍を誓い参加を決めたフェニックス・リーグで悲劇が起きる。キャッチボール中に左肩に違和感を覚えた。当初は些細なものだったが、日を追うごとに左腕の力が抜けていく。故障しているという感覚はあったが、横山はプロの競争の厳しさを知ったからこそ誰にも言えなかった。結果的にその決断が選手生命を縮めることになる。
笑顔なきプロ初勝利
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翌年5月のドラゴンズ戦。7回無失点の好投でプロ初勝利を上げる。笑顔でヒーローインタビューに応じてみせるも、心中は複雑だった。
「投げているボールには全然納得していないんです。1年目と比べると雲泥の差があった。今でも後悔はあります。『なんであの時言えなかったんだ、と』。一流のスポーツ選手だったら絶対に言っていたと思う。(藤浪)晋太郎を見ていても思いますが、結局プロは怪我をしない人が最強なんです。誰からも文句をつけられないくらいケアはしていたつもりでも、結果僕は怪我をしてしまった。それが全てです」
以降、横山は1年目の自身の姿とのギャップに苦しんだ。左肩の痛みは年々悪化していき、庇う意識が生まれたことでフォームを崩し、小さな怪我も頻発するようになる。本人曰く「別人が投げているような感覚だった」。
「1年目のボールに絶対戻ってやる、という強い意志はあった。一方で、自分の体ですからもう戻らないかも、とも薄々気づくわけです。投げているボールと意識の乖離は進み、そもそも投げられない日々が続いた。キッカケひとつで何かが変わるかもしれない、とすがるようにその方法を探す日々でした」