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車いすの天龍源一郎が見せた笑顔、藤波辰爾は“確執”を越えて…ジャイアント馬場「没25年追善興行の情景」引退の太陽ケア「馬場さんには感謝しかない」
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原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2025/02/03 17:00
リングの中央に置かれたジャイアント馬場の「16文」シューズ。1月31日、後楽園ホール
西村修との確執を越えて…藤波辰爾が見せた男気
参戦が予定されていた西村修(食道ガンが脳にも転移している)の容体が悪化して緊急入院したことで、藤波辰爾がその代わりとしてリングに上がったのは大きな驚きだった。藤波と西村の確執は「無我」時代にさかのぼる。2007年10月、西村が征矢学を連れて無我から出て行き、全日本プロレスに入った。その後、西村と決別した藤波は、沈黙し、試合出場のオファーがあってもできる限り西村と接触しないように努めてきた。そんな藤波と西村の間を取り持つようなことも考えられていたという話を耳にしたことはあったが、実現には至らなかった。
大会に先立ち、藤波はこんなメッセージを寄せた。
「思い返せば、多くの方がご存知の通り、過去、私と西村選手との間で大きな出来事がありました。当時その問題が、関係者、そして私の家族にまで影響が及んだことに、大きな憤りを覚え、西村選手との関係に一区切りをつけ、その件に関して、私自身一切黙することとしました。今回、大会実行委員会から西村選手の現在の状況、そして大会の欠場の旨を伺い、そして参戦のオファーを頂きました。今回のオファーに対し、西村選手の1日も早い回復への願いを込め、リングに上がります」(原文ママ)
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藤波が男気を見せた。西村にエールを送るように、この大会に出場することを決めた。白いガウンで登場した藤波は越中詩郎、新崎人生と組んだ。そして、ドラゴンスリーパーで勝利すると、藤原喜明と言葉を交わした。そして、「まだ若い彼がもう1回リングに上がって来られるように……そういう祈りを込めて上がりました」と静かに言った。
4月29日に引退するセンダイガールズの里村明衣子と5月24日に引退するマリーゴールドの高橋奈七永がシングルマッチでぶつかった。レフェリー生活50年の和田がこれを裁いた。15分では決着はつかなかったが、辞めるにはもったいないベテランの女たちの意地を見た。里村と高橋はタッグチーム結成を約束した。
引退するモスマンは約2年間タッグを組んできた鈴木みのる、MAZADAとトリオを組んだ。セコンドにはNOZAWA論外がついた。相手は秋山、丸藤、小島組だったが、モスマンは秋山のエクスプロイダーで最後の3カウントを聞き、引退の10カウントを聞いた。武藤敬司が花束を持って現れた。




