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「結婚しよう。ブラジルで貴女を支える」“交際0日”柔道指導者の恋人にプロポーズ…「私も夫も金メダルに号泣」藤井裕子夫妻のスゴい人生
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沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2025/01/30 06:01
ブラジルで12年間を過ごした藤井裕子・陽樹夫婦に柔道指導の日々と私生活を聞いた
東京生まれで、母・佐代子さん(旧姓星野)は柔道経験者(1978年と79年に全日本選抜体重別選手権57kg級連覇を果たし、80年には56kg級を制覇している)。群馬県沼田市へ移り、高校サッカー部でFWとして活躍した。東海大で体育学を修め、教員免許を取得し、神奈川県の小学校教員採用試験に合格。2011年に大学を卒業し、就職するまでの期間、欧州を旅行した。その際、母親の知人だったロンドンの柔道関係者の家にホームステイした。そこで、この家に居候していた裕子さんと出会った。
互いに自己紹介をして意気投合し、一緒にロンドンとその近郊を観光した。しかし、それが交際につながったわけではなく、陽樹さんは帰国してから平塚市の養護学校で教員として働き始めた。
一緒にブラジルへ行って、貴女を全面的に支える
「自分にとって、2011年3月に起きた東日本大震災が一つの契機となりました。世の中は、何が起きるかわからない。やりたいことを躊躇せずやるべきだと考え、『本当に好きな相手と結婚しよう』。すると、ロンドンで会った裕子さんのことが思い浮かんだ。『とてもユニークな人。彼女となら面白い人生が歩めるのではないか』と考え、交際0日でありながら無謀にもプロポーズを決意しました」
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――裕子さんにもお聞きしたことがありますが、そのいきさつを教えてください。
「2011年末、一時帰国した彼女と名古屋で会いました。当時、交際している相手がいないことを確かめてから、プロポーズを決行した。それは、2012年ロンドン五輪が終わったら日本へ戻ってくると思い込んでいたからなんです」
――ところが裕子さんから「2013年からブラジルで指導をすることになりそうです」と聞いて絶句したそうですね。
「プロポーズを撤回はしないまでも『少し考えさせてください』と、保留するはめになりました(笑)。それでも、当時、ブラジルは2014年ワールドカップ、2016年リオ五輪とスポーツのビッグイベントが目白押し。裕子さんへの思いは変わらなかったし、ブラジルに住むのも面白そうだ、と考えた。そこで、『結婚しよう。一緒にブラジルへ行って、貴女を全面的に支える』と伝えました」
長男と自らもフットボールで大きな経験を
――まるで映画のようなストーリーですよね。ブラジルへ渡ってからの12年間を振り返ってください。
「2014年に生まれた長男・清竹、2017年に生まれた長女・麻椰、2022年に生まれた次女・巴菜の育児、裕子の柔道指導への帯同、リオ五輪、清竹がフットボールを始めて練習への送り迎えをしたことなど、実に多くの出来事がありました。様々な困難に直面したが、家族全員で一致団結して乗り越えてきた。日本ではなかなか得られない貴重な経験がたくさんできたと思うし、子供3人の子育てにどっぷり浸かることができたのは幸せでした」
――ご自身も、住んでいた地区のフットボール大会に出場して最優秀右ウイングに選ばれるなど活躍されていました。

