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「プロレスは今しかできない」“100万人に3.5人の難病”とも向き合いながら…スターダム・向後桃が語った覚悟「病気だから諦めるのってイヤなんです」
posted2025/01/24 17:03
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
スターダムの向後桃はまだ一度もベルトを手にしたことがない。プロレスを始めて約6年、スターダムに来て3年になる。
今は骸骨やメキシコゆかりのものをリングコスチュームに取り入れている。向後がメキシコに初めて行ったのは、2021年の9月の終わりから10月だった。
「プロレスは今しかできないと思っているから」
メキシコには11月1日・2日に「死者の日」という祭りがある。祖先の骸骨を死と生まれ変わりの象徴として身近に飾り、楽しく明るく祝う行事で、映画『007 スペクター』にも登場する。祭りの当日よりもずっと前から、街の露店では花嫁の特徴的なメイクも大人気だ。「アレ、やってもらえばよかった」と向後は残念がったが、そんなメキシコの文化にも興味を持つようになった。
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「また行きたいですね。あの時は2週間で8試合しました。CMLLのリング。アレナ・コリセオはコロナで閉鎖されていましたが、アレナ・メヒコ、アレナ・グアダラハラ、アレナ・プエブラ……。それに毎日、新聞社、テレビ、ラジオの取材があってギュウギュウ。寝る時間なかったです」
目まぐるしかったメキシコでの日々を懐かしむように言った。向後は英語を流暢に話すが、スペイン語は「ポキート(ちょっと)」だという。
「たまにタクシーに乗ったりするから、最低限デレーチャ(右)、イスキエルダ(左)、それからミズモ(同じ)。悪い言葉なんて知りませんよ(笑)」
向後はかつてアメリカに留学していたことがある。
「学生の時にお金貯めて、あっちの学校に行っていました。半年の留学で日本の大学と合わせて卒業したんです。つたないですけれど、英語を覚えました。行く前から、バイト先に外国人が多い所を選びました。留学に必要なお金を貯めなきゃいけなかったから。でも、自分のお金と親のお金でした。『生活費はこれくらいかな』と思ったら、足りなくなって、途中で『あれヤバいな』って、お姉ちゃんに助けを求めました。お母さんに言えなくて。寮みたいなところで生活するから、一からいろんなものを買わなきゃいけなかった。いい勉強になりました。自分で貯めて、使うというのは、こんなに大変なんだって」
「声かけられて、モデルのバイトをしたんです。完全なお金目当て。高校の時は部活していてバイトできなくて。やったらおもしろかった。でも、そこの社長が病気になって事務所が動かなくなって。お芝居をやっている方に拾われて、女優に。これは今となってはよかったと思っています。モデルより女優業の方がプロレスに生かせる。今でもお芝居は好きです。女優業は大好きなままです。女優は90歳、100歳でもできる。でも、プロレスは今しかできないと思っているから」