オリンピックPRESSBACK NUMBER

「心が折れてしまったんです」…《ベルリンで日本歴代7位》女子マラソン“日本の次世代エース”細田あいが語る「もう無理だ」と思った意外な瞬間 

text by

泉秀一

泉秀一Hidekazu Izumi

PROFILE

photograph byMiki Fukano

posted2025/01/26 11:01

「心が折れてしまったんです」…《ベルリンで日本歴代7位》女子マラソン“日本の次世代エース”細田あいが語る「もう無理だ」と思った意外な瞬間<Number Web> photograph by Miki Fukano

ベルリンマラソンで日本歴代7位の好記録をマークし来年の世界陸上代表を狙う細田あい(エディオン)だが、これまでの陸上人生は順風満帆ではなかった

 一方で、競技への情熱が消えたわけではなかった。進学先の日体大ではアスレチックトレーナーの勉強をしながら、陸上を続けた。

「高校の頃、怪我をした時に助けてくれる治療院の先生たちを尊敬していました。だから、もし陸上を辞めるとしたら、自分と同じように苦しい思いをしている誰かの助けになれたら良いなって。

 同時に、そうした勉強をすることで、怪我の多い自分のためにもなるんじゃないか、とも思っていました。やっぱり、競技を続けてみたかったんです」

ADVERTISEMENT

 大学時代に飛躍の時を迎える。

 フォームを改造して怪我が以前よりも少なくなり、結果が出始めた。上級生になると日体大のエースと呼ばれるまでに成長し、駅伝でも結果を残した。3年時には関東インカレの5000m、10000mで2冠を達成している。

 大学で結果を残したことで実業団から声がかかり、ダイハツに入社してからはマラソンを始めた。

 怪我をしても、立ち直って競技に向かっていく。その積み重ねが徐々に成果につながっていった。2020年3月の名古屋ウィメンズマラソンでは、2度目の挑戦で2時間26分34秒を出し、女子マラソンの新星として、期待を集め始めていた。

 東京五輪への出場は叶わなかったが、小学生の時に描いた「五輪」に少しずつ現実が近づいていた。高校時代にはイメージできなかった五輪は、再び目標になっていた。

 しかし同時に、「怪我と復活」というサイクルを何度も繰り返す中で、細田のメンタルは少しずつ削られていた。

「怪我が治っても…走れなかった」

 そしてついに、限界を迎えた。

「陸上を辞めたいと思ったことは、何度もあります。高校でも大学でも、もう辞めたいと思った。それでも、なんとか踏ん張り続けてきました。だけど、あの時は気力が生まれなかった。もう無理だ、長く続けられないって思ってしまったんです」

 当時、細田は肉離れに悩まされていた。治っては悪くなることを繰り返し、練習も満足にできない日々が続いた。

 新型コロナウイルスが蔓延し、社会全体に不安が広がっていた時期のことだ。東京五輪も延期が決まり、スポーツの先行きも不透明な時期だった。

「辞める理由が肉離れだなんて、ちっぽけだと思われるかもしれません。でも、それまでの悩みや苦しみが積み重なって、心が折れてしまったんです。最後の一滴が溢れてしまったのが2020年だった。あの頃は、怪我が治っても走れなくなっていました」

【次ページ】 細田の「涙のワケ」は…?

BACK 1 2 3 4 NEXT
#細田あい
#エディオン
#長野東高校
#日本体育大学
#パリ五輪

陸上の前後の記事

ページトップ