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「涙は出なかったです」箱根駅伝で“伝説の17人抜き”…東海大・村澤明伸が明かす「12年前の悪夢」 大エース擁した名門が“40年ぶり”予選落ちのナゼ
posted2025/01/07 11:00
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
KYODO
続きがあるはずの道が、一瞬で見えなくなった。
あの日、東海大の4年生である村澤明伸(現SGホールディングス)は、立川昭和記念公園内の原っぱで呆然と立ち尽くしていた。
「涙は出なかったです。おそらく、よくわかっていなかったんだろうと思います。現実がすぐには飲み込めなかったんでしょうね」
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2012年10月20日、第89回箱根駅伝出場をかけた予選会で、東海大は12位。本戦出場が決まる上位9校に入れず、予選落ちが決まった。これまで40年連続でつないできた襷が、ついに途切れた瞬間でもあった。
「走らなかったのが良かったのか…」答えは未だ出ず
エースであり、主将でもあった村澤は、ケガの影響でスタートラインにすら立てなかった。最後の箱根駅伝は、走る前に終わってしまったのだ。
あれからすでに一回りほどの歳月が流れたが、村澤はまだ答えを探しあぐねているようだった。
「ああいう結果になって、自分が走らなかったのが良かったのか、良くなかったのか。あれがあったから今があるって風に思いたくてやってきましたけど、まだその答えは出せていないような気がします」
村澤にとって、そもそも箱根駅伝とはどのような存在だったのか。
デビューは鮮烈だった。1年生ながらエース区間の2区を任されると、いきなり10人抜き区間2位の快走でファンの度肝を抜いた。さらに2年生になると、村澤は圧巻の走りを披露する。最下位で襷を受け取ると、前を行くランナーを導火線にして、まるで爆ぜるような走りを見せた。ケニア人留学生を含め、なんと17人をごぼう抜き。区間歴代4位の好記録(当時、1時間6分52秒)で区間賞を獲得したのだ。