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「覚悟はありました。だからずっと電話が気になっていた」現役ドラフトでロッテ→西武移籍の平沢大河…苦しんだ“甲子園の星”を支えた言葉と「強い想い」
posted2024/12/20 11:05
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph by
Chiba Lotte Marines
「いい手をしている。楽しみな若者だ」
今も忘れられない言葉だ。あれは2015年のドラフト会議翌日。仙台育英高校にマリーンズの伊東勤監督(当時)が指名挨拶に訪れ、平沢大河内野手と握手した際に口にした感想である。
指揮官が惚れ込んだ「強さ」
「向こうからガッチリと握手をしてきて、いい手をしていた。なんていうかな。ゴツゴツしているというか。体は小さいかもしれないが、手はゴツくて、しっかりしていた。久しぶりだな。握手をして、感じるものがあったのは。最近の若い子は、手は綺麗かもしれないけど、あの強さはなかなかない」
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ライオンズ黄金時代の正捕手であり野球殿堂入りもした当時の指揮官が、興奮気味に何度もそんな言葉を口にしていた。
平沢はドラフト会議でクジが引かれる瞬間をテレビで見ていた。マリーンズフロント陣が喜んでいる姿を見て、その期待の大きさを感じた。指名挨拶の際には、監督が自らクジを引き当てた「交渉権確定」と書かれた紙を手渡された。そこには直筆で「一緒に頑張ろう」と書かれていた。「プロ入り」を初めて実感した瞬間だった。
「学校までわざわざお越しいただいてビックリしました。あとで関係者から『監督が新人の指名挨拶に直接、行かれることは今までない』と教えてもらいました。嬉しかったです」と平沢は振り返る。
「覚悟はありました」
確かに伊東監督が任期中の5年間(13~17年)でドラフト指名した選手の指名挨拶に向かったのはこの1回限りだった。指揮官自らその素質に惚れ、競合覚悟で指名に踏み切った逸材。通常は担当スカウトにその後の挨拶などを一任するが、この時ばかりは東北新幹線に飛び乗っていた。
そして月日は流れた。プロ9年目を終えた24年12月9日。運命は平沢を新たな道へと導いた。現役ドラフトでライオンズへの移籍が決まった。
「この日がどういう日か分かっていましたし、そこで名前が挙がる可能性はあると思っていました。覚悟はありました。だからずっと電話は気になっていた。なかなか電話が来なかったけど、球団から電話が来た時は、そういうことだろうなあという思いをすぐに感じました」
直面した「プロの壁」
電話を切った後、マリーンズでの色々な思い出が浮かんできた。新入団会見で、ステージから初めて見た客席のファンの姿。「ファンの人の目の前でユニホーム姿を披露させていただいて、強い実感が湧きました。平沢コールをしていただいて、ステージ上で鳥肌が立つくらいに圧倒されました」