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「覚悟はありました。だからずっと電話が気になっていた」現役ドラフトでロッテ→西武移籍の平沢大河…苦しんだ“甲子園の星”を支えた言葉と「強い想い」 

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梶原紀章(千葉ロッテ広報)

梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara

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photograph byChiba Lotte Marines

posted2024/12/20 11:05

「覚悟はありました。だからずっと電話が気になっていた」現役ドラフトでロッテ→西武移籍の平沢大河…苦しんだ“甲子園の星”を支えた言葉と「強い想い」<Number Web> photograph by Chiba Lotte Marines

現役ドラフトでロッテから西武に移籍が決まった平沢

 プロ入り後の日々は思い通りに進まなかった。1年目から一軍キャンプに抜擢されるなど、周囲からの強い期待を感じたが、それが気負いになっていた部分もあった。「一軍の舞台は戸惑いというか緊張というか慣れないというか……雰囲気にのまれた感じはした。見ているのとやるのではやっぱり全然違う」。プロ1年目をそう振り返る。

 5月に一軍に初昇格したが、快音を響かせることなく10日で登録抹消になった。なかでも忘れられないのはスタメンに起用された5月20日のバファローズ戦(京セラドーム)。最初の打席は二ゴロ。続く打席は空振り三振。当時、バファローズのエースとして君臨していた金子千尋投手(現ファイターズ二軍コーチ)の投球の前に、手も足も出なかった。一方的にねじ伏せられて凡退。打席の中で、まるで大人と子供のような圧倒的なレベルの差を痛感した。3打席目で、代打が送られた。

悔しさを糧に

「ボクの打席の時はポンポンとストライクゾーンに投げてくる投球でした。決して手を抜いているとかではなくて、ボール球を使わなくても絶対に抑えられる、という圧倒的な自信とプライドのようなものを感じた。それがマウンドから伝わってきた。他の先輩たちの打席とは明らかに違う攻め方。実力の差を感じました。練習をして、もっと頑張って一流の投手に、本気で勝負をしてもらえる打者にならないといけないと思いました」

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 試合後にコーチ室に呼ばれ二軍落ちを通告されると、翌日には野球バッグにバットケース、キャリーバッグを手に一人、新大阪駅から新幹線に乗り込んだ。一軍選手であれば荷物はすべて運んでもらえる。しかし、急な二軍落ちの時などは自分でそれを運び移動しなければいけないこともある。これもまたプロの厳しさである。

 悔しさはその後の糧になった。二軍では、強いスイングを意識した打撃練習を繰り返した。打開への手ごたえを掴んだ試合がある。6月24日、ロッテ浦和球場で行われたイースタンリーグ・ライオンズ戦。インコースのストレートをフルスイングした打球はグングンと伸び、ライトスタンド後ろに備え付けられている約25mの防球ネットのはるか上を越えていった。文字通りの場外弾。球場奥の道路を挟み隣接するマンション敷地内からホームランボールが見つかった事から、推定飛距離は150m。周囲も驚く一発だった。

故郷で放った初ヒット

 そして再び一軍昇格して迎えた8月17日のイーグルス戦。プロ24打席目で生まれた初ヒットは、故郷である宮城県での一打だった。18歳の若者は、一塁ベースを少し回ったところで表情を崩し、手を挙げて大歓声に応えた。

「正直、ホッとしました。本拠地のマリンで打ちたかったという思いもありましたが、宮城で打てたのは良かったと思います」

 家族ら10人を試合に招待し、仙台育英時代のチームメートも駆け付けてくれていた。母と一緒にスタンドから応援していたリトルリーグ時代からのチームメートの父親が、その瞬間、涙を流したと後になって聞いた。プロの壁に戸惑い苦しんだ分、温かい眼差しに包まれた場所で記念すべき第一歩を踏み出すことが出来た幸せを、静かに感じていた。

【次ページ】 「不安があるから、努力をする」

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