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「クボ、君には大きな潜在能力が」と伝えた久保建英16歳の返答は…“不動産業に転身”FWルーカスのFC東京とガンバ、日本愛「僕の人生の宝物だ」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byEtuso Hara/Getty Images
posted2024/12/21 17:03
FC東京時代の久保建英。Jリーグで大活躍したルーカスは、日本代表との縁や現在のプレーをブラジルの地で頼もしく思っているようだ
「日本人の誠実さ、生真面目さ、勤勉さは、世界のどこの国でも立派に通用する。それは、複雑怪奇なフットボールの世界でも変わらない。
引き続き、Jリーグを発展させ、レベルを高め、良い選手を生み出してほしい。また、クラブは自分たちが育成した選手の価値を正しく認識し、適正な条件で外国のクラブへ送り出して財政を整え、それによって手にした資金をさらなる選手育成に再投資するべきじゃないかな」
――日本のファンへ向けて。
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「こうしてあなたが僕をインタビューしてくれるのは、日本の人々が僕のことをまだ覚えていてくれるからだと思う。本当に嬉しい。日本で過ごした10年近い歳月は、僕の人生の宝物だ。引退後も、FC東京とガンバ大阪のイベントなどに呼んでもらって日本へ行くことがあるし、実はプライベートでも何度か行って、一観光客として日本を楽しんでいる。
ミナサン、マタ、オアイシマショウ!」
Jリーグは「最高の選択だった。人生の宝物だ」
ブラジルのクラブで英雄となり、U-23に選ばれて五輪に出場しながら、当時では破格となる約33億円もの移籍金で渡ったフランスでは結果を残すことができなかった。キャリアの曲がり角で日本のクラブからオファーを受け、日本語を学んで日本に溶け込み、東京と大阪の強豪クラブで計9年半、プレーした。
率直に言って、もし彼が欧州で活躍していたら、セレソン(ブラジル代表)に選ばれていた可能性は非常に高い。そして、その先にW杯出場があったかもしれない。
それがわかっていながら、彼は「自分のキャリアの最も重要な時期を日本で過ごしたことに、全く後悔はない。自分にとって最高の選択だった」と言い切る。
Jリーグで結果を残したブラジル人の選手や監督からは、日本と日本人への愛着を表現する言葉を聞くことが多い。しかし、「日本と日本人が、どん底で喘いでいた僕を救ってくれた。僕は、日本で選手としても人間としても生まれ変わった」という彼の言葉に強い感銘を受けた。
ルーカスは引退後、地元での不動産業で成功しながらも――日本のフットボールの発展を心から願ってくれている。このような男を、我々日本人はいつまでも記憶に留めておくべきだろう。〈第1回、第2回からつづく〉