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「辞めることになったから」川崎F・鬼木達50歳が息子に“監督退任”を伝えた日「顔を見合って号泣です(笑)」番記者が初めて聞いた“家族の話” 

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いしかわごう

いしかわごうGo Ishikawa

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photograph byMasashi Hara/Getty Images

posted2024/12/05 17:01

「辞めることになったから」川崎F・鬼木達50歳が息子に“監督退任”を伝えた日「顔を見合って号泣です(笑)」番記者が初めて聞いた“家族の話”<Number Web> photograph by Masashi Hara/Getty Images

川崎フロンターレに多くのタイトルをもたらし、今季かぎりで監督を退任する鬼木達。残す試合は12月8日のJ1最終節のみとなった

「こんな僕でも誇りに思ってくれるんですね」

 2009年生まれの次男は、06年に引退した鬼木達の現役時代をリアルタイムでは見ていない。物心ついたときから、父親はすでに川崎フロンターレの指導者だった。

 鬼木がトップチームの監督として指揮を執り始めたのは2017年からになる。この8シーズンの間、4度のリーグタイトルと3度のカップタイトルをクラブにもたらした。次男は当時小学生だったが、今は高校1年生になっている。彼にしてみれば「父親の職業=川崎フロンターレの監督」と言っても過言ではなかったことだろう。その父が今季限りで川崎の監督ではなくなる。8年という歳月、その背後に流れてきた時間を思うと、さまざまな感情で胸がいっぱいになるのも当然かもしれない。

 次男は、小さい頃から川崎ファンだった。

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 毎年、好きな選手のユニフォームを買って応援していたという。幼少期は、お気に入りの選手の移籍が発表されると、「パパが試合で使わないからだよ!」と文句を言っていた。事情を知らない息子に「パパだって好きだよ。嫌いじゃない!」と弁明していたと、鬼木監督は懐かしそうに笑った。

 高校生になってからスタジアムに足を運ぶ機会は減ったようだが、試合は映像でしっかりと見ているそうだ。「負けていると不貞腐れ、試合途中でリビングから自分の部屋に戻っている」と鬼木監督は夫人から伝え聞いている。

 監督業やチームについて、親子で話すことは次第になくなっていった。それだけに、退任を告げた際に、その場で涙するとは思わなかった。

 話をしながら、鬼木監督は「こんな僕でも誇りに思ってくれるんですね」と優しく笑っていた。その表情は息子の成長を噛み締める父親のそれだった。

【次ページ】 “鬼木監督の8年間”で初めて聞いた「家族の話」

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#鬼木達
#川崎フロンターレ

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