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格闘技PRESSBACK NUMBER
人気女優と結婚、伝説の組長と交流も…“昭和プロレスの語り部”マイティ井上が急逝 生前語った「国際プロは猪木の踏み台」「燃える闘魂はパクリ」の真意
text by
欠端大林Hiroki Kakehata
photograph byAFLO
posted2024/12/04 11:15
国際プロレスや全日本プロレスで活躍し、引退後はレフェリーとしてノアにも関わったマイティ井上さん。生前語っていた新日と猪木への複雑な思いは…?
昨年、大きな病院に通院するため実兄の住む神戸に移り住んだときにも「こちらに来るときは教えてくださいよ」と丁寧な連絡をいただいたが、神戸と聞いていつでもお会いできると思っていたところ、突然の訃報であった。昭和のマット界を彩った名レスラーのご冥福を、改めてお祈りしたい。
生前の井上さんが語っていた内容のうち、印象深く思い出される話が2つある。ひとつは青春を捧げた国際プロレスの哀史。そしてもうひとつは最後に所属したプロレス団体ノアを襲った「巨額詐欺事件」にまつわる証言である。
国際プロは「猪木と新日にいいところを持っていかれた」
井上さんは、1967年に国際プロレスでデビューを果たし、1981年に同団体が崩壊するまで主力選手として活躍した。プロレスラーとしては小柄な体格をカバーしていたのは、海外遠征で磨いた負けん気の強さと強烈なプロ意識である。
「新日本プロレスは信用できなかった。国際は全部、アントニオ猪木と新日本にいいところを持っていかれた。いわば踏み台にされたわけだ」
井上さんが常々語っていたのは、国際プロレスへの愛情と、新日本プロレスへの不信だった。1974年、破格の条件で新日本プロレスに移籍した国際プロレスのエース、ストロング小林(2021年に死去)に対しては「いまでも許せない」と言い切った。
「あいつは、自分のことしか考えてなかった。(グレート)草津のおっさんといろいろあったにせよ、カネに目がくらんだ結果だったからね。裏切りですよ。彼は自分ひとりの力で国際のチャンピオンになったわけじゃない。(ラッシャー)木村さんやハマ(アニマル浜口)あたりは何も言わないけど、ボクはこうして自分の言葉でハッキリ言いますよ。でも新聞や雑誌は書いてくれないんだ。誰に遠慮しているのか分からんけどね」