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格闘技PRESSBACK NUMBER
人気女優と結婚、伝説の組長と交流も…“昭和プロレスの語り部”マイティ井上が急逝 生前語った「国際プロは猪木の踏み台」「燃える闘魂はパクリ」の真意
text by
欠端大林Hiroki Kakehata
photograph byAFLO
posted2024/12/04 11:15
国際プロレスや全日本プロレスで活躍し、引退後はレフェリーとしてノアにも関わったマイティ井上さん。生前語っていた新日と猪木への複雑な思いは…?
「予想通り、木村さんやハマは新日本の肥やしにされてしまったよな。ボクも当時、吉原社長から『新日本に行ってくれないか』と打診されたけど断った。そうしたら『ゴング』の竹内宏介編集長(故人)が馬場さんに話をつないでくれて、ボクと阿修羅、サムソン冬木、アポロ菅原を全日本プロレスに入れてもらうことになったんです」
団体が崩壊した後も、元国際戦士たちの絆は強かったという。
「貧乏団体が生き残るためには、金網デスマッチを毎日やるしかないとなれば、木村さんだけに任せちゃおれんということで、みんな交代でケージに入りましたよ。外国人だってそう。ジプシー・ジョーって選手がおったでしょ。背中が鉄板のように硬くて、イスでバンバン殴ってもまったく効かない。いつだったか客のハイヒールで殴ってやったらハイヒールのカカトが砕け散ったよね。でも性格は本当にいい奴で、その後もあいつが日本に来るたび、お互い体を張って、血と汗を流して国際を支えた思い出話をしたものですよ」
引退後はレフェリー転身…三沢光晴のノアに参画
1998年、全日本プロレスのリングで現役を引退した井上さんはその後、レフェリーに転向。そして2000年、三沢光晴が旗揚げしたノアに参画する。
面倒見の良い性格の井上さんは若手選手たちからも慕われ、現場の要望を経営陣に直言する役どころも果たしていた。だが2008年、経営難が表面化していたノアから「1年後の契約解除」を通告される。
そのとき、同じくリストラ通告された選手の1人が、中堅選手の泉田純(2017年に死去)だった。泉田は先輩の井上さんを頼り、やがてある事件に巻き込まれた際には、タッグを組んで「共闘」したこともあった。
その「ある事件」とは、三沢光晴亡き後のノアを揺るがせた「大型詐欺事件」スキャンダルである。
<次回へつづく>