フィギュアスケートPRESSBACK NUMBER
「ソチ五輪は全然達成感が…」元フィギュアスケート日本代表・高橋成美が語るペア“冬の時代”「ペアは不人気で集合写真から切られたり(笑)」
posted2024/12/06 11:00
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
JMPA
「ソチ五輪は、全然、達成感がなかったです」
フィギュアスケートのペア個人戦は18位、団体戦は5位に終わり、ともにメダルを獲得できなかった。この日のために、高橋成美は結果を残さないといけないという不安と常に戦い、決して恵まれていない環境の中、家族に支えてもらい、相性の良いパートナーとの別れを経験しながらペアを続けてきた。
だが、報われることはなかった。
「初めての五輪だったので、楽しさはありました。でも、成績を残せなかったのもあり、悔しさや不甲斐なさの方が勝っていました。気持ちは次へ向いていたので、友人とテーマパークに行った後ぐらいの余韻で、すぐに消えていくみたいな感じでした。言い方は悪いですが、こんなもんかっていう感じでした」
ペアでの五輪出場は悲願だったが、大会前後から見えてきたものは、国内でのペアの活動が非常に厳しく、その状況は昔からあまり変わっていないという現実だった。
父の中国転勤で始まったペア人生
高橋のペア人生は、9歳の時、父親の中国への転勤から始まった。
ノービスでトップクラスだった高橋は、まったく勝てなかった浅田真央という憧れの存在と一緒に五輪に出たい、スケーターとして世界の舞台に立ちたいとの思いからペアを志すようになった。二人で呼吸を合わせて滑るペアの楽しさに魅了され、中国選手権では6位になった。中学に入るタイミングで、また父の転勤で帰国することになったが、高橋は中国に残り、ペアを極めていきたいと考えた。
「中国はペアの強豪国で、コーチからは、『このまま続けていけば世界一になれる可能性がある』と言われました。それに中国籍になれば衣食住を始め、すべてサポートしてくれるので、私は残りたかったんです。ただ両親は、いつもは私の決断に90%反対しても最後は認めてくれたんですけど、中国に残ることに関してだけは許してくれなかったんです」
冬の時代だったペア
2000年代初めの日本のスケートシーンといえば、シングルで安藤美姫、浅田真央という二人の黄金期が幕を開けた頃だが、ペアは全日本選手権でも1組のみ出場というような冬の時代だった。帰国して感じたのは、日本の練習環境やペアの認知度が、中国とは比較にならないほど低レベルなことだった。