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夫は「成績が落ちたらお前のせいになる」と言われ…23歳“全盛期”に電撃引退→結婚の女子陸上・寺田明日香が8年後に「母で五輪出場」までの波乱万丈
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by(L)Yuki Suenaga、(R)JMPA
posted2024/11/22 11:01
23歳で一度は引退したものの、結婚・出産→ラグビー転向を経て100mハードルの日本記録を更新した寺田明日香。そのウラには夫や娘との深い絆があった
とにもかくにも、そのお土産のお礼の連絡をきっかけに、2人の距離は近づいたわけだ。
「その3週間前の日本選手権で、彼女のほうから『いつも風に恵まれない』と話しかけられたんです。僕は都内に住んでいたので、浅草寺の風神のお守りを買いに行って渡したこともありました」
ただ、選手と職員、北海道と東京という心理的・物理的な距離もあり、なかなか交際には発展しなかった。
「好意は持っていましたけど彼女は選手としての全盛期でしたし、職員という立場もあって付き合うことはあり得ないだろうなと。でもある日、寺田の先輩の中西麻耶ちゃんに『明日香のこと、はっきりしろよ!』って言われたんです。これはもう気持ちを伝えるしかないと……(笑)」
「麻耶ちゃんの猛プッシュだったよね(笑)。でも、あれがなかったら付き合っていないと思う」
後のパラ世界選手権金メダリストからの「圧」を受け、2010年秋、2人は遠距離交際をスタートさせた。
とはいえ、交際にはさまざまな障壁があった。
当時20歳の寺田は未来のハードル界を担う選手だった。2009年に世界ジュニアランキング1位の13秒05をマークし、ベルリン世界選手権に出場。10年には日本選手権3連覇を果たしている。
「寺田の成績が落ちたら、お前のせいになるぞ」
当時はまだ、女子選手の恋愛は「成績が落ちる」「体型が変わる」など偏見が根強い時代。その上、佐藤さんは陸連職員という立場で、好奇の目で見られるのは明らかだった。そうした状況も理解した上で、2人は密かに交際するつもりだったが、ふとしたアクシデントで関係者の知るところとなってしまったのだ。
「周囲には『これで寺田の成績が落ちたら、お前のせいになるぞ』と言われることもありました。彼女にそういうものを背負わせていることが、本当に申し訳なかったなと思います」(佐藤さん)
それでも11月に迎えたアジア大会では、脱水症状になりながらも100mハードルで5位、走力を買われて4×100mリレー予選にも出場と、順調に成績を残した。翌年のテグ世界選手権のB標準記録も突破し、出場はほぼ確実と思われた。