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打越勇児「JRA参戦も臆せずに、高知の勝てる調教師」
posted2024/11/19 09:00
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph by
Yoko Oe
高知競馬を一躍有名にしたのは、負け続ける馬ハルウララ('96年生まれ、牝、113戦0勝、父ニッポーテイオー)が巻き起こした奇妙なブームだった。
'04年3月22日は同馬の106戦目。高知唯一のダートグレード、第7回黒船賞(JpnIII)が行われた日だった。ノボトゥルーに騎乗するために高知に参戦した武豊騎手が、ハルウララの騎乗オファーを受けたことが全国的なニュースとなってファンが押し寄せ、消防法で定められたキャパシティ限界の1万3000人という圧倒的な入場者レコードを記録したのだ。
当時、慢性的な赤字に苦しんでいた高知競馬。ハルウララのレースの1着賞金がわずか11万円で、緊縮財政の矛先が賞金や手当の縮小に向けられていたことがわかる。1着になっても騎手、厩務員の取り分は5500円という渋さ。高知競馬の開催自体が、いつ廃止の方向に舵が切られても不思議のない状況だった。