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プロ野球PRESSBACK NUMBER
史上初? 「トミー・ジョンを受けた高校生がドラフト指名」ソフトバンク育成7位・津嘉山憲志郎が手術に踏み切った理由…高まる“リスク”と“責任”
posted2024/10/26 17:01
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph by
Sankei Shimbun
2年前(2022年)の夏、高校野球で鮮烈なデビューを飾ったスーパー1年生がいた。
沖縄から聖地・甲子園のある兵庫県にやってきた15歳は、同年夏から神戸国際大付の主戦投手として兵庫大会に登板した。球速はMAX148キロをマークし、同大会では準優勝に輝く。甲子園には届かなかったものの、2年後のドラフトでも楽しみな逸材として大きな注目を集めていた。
その右腕の名は、津嘉山憲志郎だ。今年、神戸国際大付の主将を務めた彼は、エースナンバー「1」を背負うも登板はなく、一度も聖地を踏まないまま高校野球を終えた。
津嘉山の右腕に異変が起きたのは、2年生の8月だった。練習試合に登板した津嘉山が、初回の3人目の打者のアウトコースに直球を投げた直後、右ヒジにピリッとした痛みが走った。経験したことのない痛みだった。様子を見ながら、そこからさらに2イニング投げ続けたものの、違和感は消えず自ら降板を申し出た。
すぐに病院に足を運んだ。診断は上腕部の「肉離れ」だった。肉離れならば大きな心配はない。そう安堵した津嘉山は、2024年のセンバツ切符がかかる秋季兵庫大会に向け右腕を労りながら登板に備え、そして大事な秋季兵庫大会準々決勝・報徳学園戦のマウンドにも上がった。やっぱり痛みは消えなかった。試合も2対5で敗れた。
手術以外の選択肢はなかった
「そこで大きな病院に行ってちゃんと診てもらったところ、『内側側副靱帯断裂』という診断でした。自分では経験したことのない痛みだったので、先生から『手術をしないといけないね』と言われた時に、驚きはありませんでした」
手術となれば、3年生の夏、マウンドに上がることは難しいかもしれない。手術をせず、保存療法を選択すること――つまり、右腕の痛みとうまく付き合いながら高校野球生活を送るという選択肢はなかったのだろうか。
「先生から『今後のためにも手術が大事だ』と言われた言葉が大きくて。手術以外の選択肢はありませんでした。その時点で、最後の夏にマウンドに上がるという考えもありませんでした。ベンチ入りできるかもわかりませんが、バッティングでチームに貢献しようという考えに切り換えていました」