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野球クロスロードBACK NUMBER
誰も「プロ野球選手になるなんて思わなかった」 高校ではマネージャー→名門大入試は断念…湯浅京己(25歳)が“下剋上ドラフト”で阪神に入るまで
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNanae Suzuki
posted2024/10/26 11:01
2022年、2023年シーズンとクローザーとして活躍した湯浅京己(25歳)。現在は国指定の難病からのリハビリの真っ最中だ
湯浅をとことん前向きにさせる原点。それが高校時代である。仁平も岩永も、当時、聖光学院にいた誰もが「湯浅がプロ野球選手になるなんて思わなかった」と断言している。
それはそうだ。なにせ、聖光学院での明確な出発点はマネージャーだったのである。
高校入学直後に腰痛となった湯浅がその任に就いたのも、彼の前向きな人柄によるところが大きい。普段はBチームの監督である部長の横山博英が、役目を与えた根拠を明かす。
「マネージャーは怪我をしている生徒にやってもらうことが多いんだけど、なぜ湯浅にしたのかっていうと、人として嫌味がなかった。彼らの代っていうのはわがままな人間が多くて、そのなかで湯浅は野球ができないなかでも前向きだった。だから、『この男はチーム作りに絶対必要な男だ』ってことで、Bチームからマネージャーにしたって覚えてる」
横山の深謀に、湯浅は心を揺さぶられた。
プレーができずとも「俺もマネージャーとして遠征に行けるようになった!」と、嬉々として受け入れたのだという。最上級生となった2年生の秋も、公式戦では記録員としてベンチに入り、練習でも選手たちの補食を作るため米を研いだ。そして、試合や練習で思うようにいかず俯く選手たちには、「お前ら、野球ができるだけいいじゃん。頑張れや!」とアフターケアも自然にこなした。
マネージャーだった男の決心…「ピッチャーをやる」
そんな裏方に徹していた男が自らの意志を明示したのは、秋の公式戦が終わってすぐだった。野球ができるほどまでに腰が回復していた湯浅が決心を口にする。
「ピッチャーをやる」
湯浅の言葉に、仁平が突っ込む。
「お前、サードだったじゃん。ピッチャーできんの? マックスなんぼ?」
「135くらいかな?」
「厳しくね? それくらい出るピッチャー、うちに結構いるしさ」
「でも俺、ピッチャーやるわ」
湯浅のピッチャー転向に懐疑的だった仁平に対し、その申し出に納得していたというのがコーチの岩永である。
「寮で湯浅と同じ部屋には、次の代でエースになる1学年下の衛藤(慎也)がいたんですけど、キャッチャーから転向した選手だったんです。彼の指導を任されたのが僕で、ふたりのやり取りなんかを見ていた湯浅が興味を持ったというか、自分のなかで何かが見えたんでしょうね」