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「死んで楽になるなら死にたい」悲劇から3カ月…張本智和の“50年ぶり金メダル”快挙はなぜ生まれたか? 五輪後に明言していた「ある計画」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byGetty Images
posted2024/10/16 17:00
アジア選手権にて、日本勢50年ぶりとなる男子シングルスでの金メダルを獲得した張本智和
それでも敗戦をまっすぐに受け止め、迎えたシングルスでは準々決勝に勝ち進み、樊振東(中国)を相手に2ゲームを連取。その後追いつかれたが3-2と再度リード。最後は逆転負けを喫したが、もてる力を発揮してみせた。
最後に残ったのは団体戦。順当に勝ち上がり、準決勝で迎えたのはスウェーデン。ダブルス、張本が出場した第2試合と勝利し2-0。その後第3、第4試合を落として2-2のタイ。第5試合の張本に勝負は託された。
張本は2ゲームを先取。あと1ゲームで勝利という局面に進む。だがここから3ゲームを失い敗れ、日本の敗北も決まった。
試合後、張本は膝から崩れ落ちるとコートに突っ伏した。
「死んで楽になるなら死にたい」悲劇から3カ月後…
「死んで楽になるなら死にたい」
「もう力が残っていないです」
試合後の言葉は痛切だった。衝撃的な言葉でもあった。
それでも気持ちを切り替え、臨んだフランスとの3位決定戦で張本はシングルス2試合に出場し1勝1敗――チームの勝利そしてメダルには届かなかった。
「スウェーデン戦も、フランス戦も、僕が勝てていれば終わっていたので」
責任を一身に背負うかのようだった。
でもそのままではなかった。時を置いて気持ちを立て直していった。
「東京のときは最後に(団体で銅)メダルを獲ったことで、課題があやふやになったと思います。メダリストとして過ごし、よかったオリンピックだと思い込んでしまいました。今回は3種目すべてだめで、明確にだめだったオリンピックとして次に進めます」
それを「いい悔しさ」と表した。