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卓球PRESSBACK NUMBER
「まさか五輪で対戦するとは…」早田ひな、平野美宇、伊藤美誠を育てた韓国の名将が新星シン・ユビン(20歳)に伝えた“打倒・日本”の対策とは?
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byKaoru Watanabe/JMPA
posted2024/09/20 11:05
パリ五輪で平野美宇、早田ひなと激闘を繰り広げた20歳シン・ユビン(左)。日本をよく知る呉光憲監督の助言に感謝した
それでも結果が出ると過酷な練習にも選手はついてくるようになり、自らトレーニングする意識と環境が生まれた。さらに呉監督は「守備的なプレーでは絶対に中国には勝てない」と口癖のように言い続けた。というのも、当時の伊藤、平野、早田も安全なプレーを求める傾向があったからだ。
「安全策ばかりだと絶対に成長が見込めないからです。より攻撃的で、破壊力のあるプレーを徹底させました。特にフォアハンドに対するスピード、ボールの回転力について強調しました」
フルセットでも戦い続けられる体力を備え、より鋭く、破壊力のある攻撃的な意識を植え付けられた平野、伊藤、早田の成長スピードは速かった。その集大成とも言えるのが2016年に南アフリカで開催された世界ジュニア選手権。平野、伊藤、早田が団体戦5連覇中の中国を破って優勝する快挙を成し遂げた大会だ。
順風満帆…なぜ、日本を離れた?
類まれな才能に出会い、目にみえる結果もついてきた。日本協会との関係も良好で、指導者としては充実の時を迎えていたが、呉監督はある決断を下す。
「いずれは日本の女子代表監督という道も頭の中にありました。それでも韓国からの熱烈なオファーがあったこと、日本で生まれた娘が学業のために韓国に行ったことも心残りでした。それにもう一つ、母国で指導者として認められたかった思いもあり、実業団チームからのオファーのあったタイミングで母国に戻ることを決意したのです」
2016年、後ろ髪を引かれる思いで日本を離れた。日本の選手たちとの思い出は心の奥底にそっとしまいこんだ。
当時、韓国卓球界は不振にあえいでいた。2016年リオ五輪、2021年開催の東京五輪では男女ともにメダル獲得はゼロ。抜本的なテコ入れが求められた。
「日本が五輪でメダルを獲れるのに、韓国はなぜこんなことになったのかという寂しい思いもありました」
韓国の実業団チームで監督を務めながら、徐々に代表チームへの思いを強くした呉監督は、ふつふつと湧きはじめた野望を形にするため自ら動いた。